詩織は極めて健康的な生活を送っている。
 だから、毎日の行動パターンも酷似しているのである。

 大体詩織の一日はこんな感じ。


 朝、早起きしてインスタントのスープを呑みつつ、早朝勉強。
 朝食の前に軽く散歩。
 学校に行って脇目も振らずに勉強。
 級長や委員会の仕事に奔走。
 帰ってきたらレイと電話。
 またはお茶。


 夕食後、夜になったら窓から公の部屋を訪れて甘える。
 甘える。
 甘える。

 ただ、ひたすら甘える。

 夜に軽く散歩した後お風呂に入る。
 寝る前にまた勉強。



 繰り返し、繰り返し。

 ちょっと勉強しすぎ。


 ですから、ほとんどスーパーウーマンの領域ではあるが、規則正しい生活に驚くほどの健康体。



 気持ちの良い秋風の中、まだ薄暗い空を見上げ、詩織は……、


「……くしゅんっ」







詩織ちゃん! 外伝「また、藤崎詩織の場合 前半」







1 夏風邪……ではなく。

 すこぅし、咳が出ただけなのに。
 そんな大げさじゃないのに。
 と、本人は思うのだが、軽かろうが重かろうが風邪に掛かること自体珍しいので、大事を取って母親には学校を休むように命じられてしまった。
 仕方なく、ベッドに潜り込む。

 …………。


 寝返りをうつ。

 ごろん。


 ごろん。


 ごろん。


 窓の外を見る。

 公の部屋にはカーテンが掛かっていた。

 仰向けになって、天井をじーっと見る。




 暇。


 滅多に病気に掛からない詩織は、基本的には四六時中動いていないと気が済まないタイプである。
 音楽でも聴こうかしら?


 ところで、三年間無遅刻無欠席を続けていた藤崎詩織が病欠した事は、学校ではちょっとした話題になりそうである。詩織が病気になったことは母親から公へ、公から好雄へ。
 知らない間に広がっていったのであった。


 ようやくウトウトしかけた頃。


 真っ先に詩織の部屋にたどり着いたのはもちろん公である。






「あっ、公ちゃん……」
 の、あっを言い切る前に思いっきり抱きしめられた。
「詩織詩織詩織!」
「あー」
「詩織詩織詩織詩織っ!」
「うー」
 熱が出そうなくらい、詩織は真っ赤になったが、嬉しいのでされるままにしておく。
 少し、窮屈な感じだけど、公から積極的にこんなことするなんて、なんて良い日なんだろう?
 ベッドの上で、公の首筋に顔を埋め、匂いを存分にかぐ。
 くんくん。
 公の、匂いだ。
 汗かいてる。

 自分のために走ってきたのかと思うと、ものすごおおおおおく、嬉しい。


「学校、まだ終わっていないんじゃないの……?」
「最後の授業、十分だけ抜けてきた。それより大丈夫なのか?」
「うん、平気」
「熱は?」
「ない……と、思う」
 実は滅茶苦茶元気である。
 だから、くしゃみが出ただけだと言うのに、休ませる親が悪い。

「顔、赤いけど」
「これは……」

 あ、そうだ……。

 少女は考えた。

「すこし熱っぽいかなー」
「どれ?」

 公は、詩織の前髪を持ち上げると、自分のおでこをくっつけた。
 その行為は熱をさらに五分ほど上げそうな行為であったが、公にそんな気は回らないです、もちろん。
 でも、思った通りにしてくれたので嬉しい。
「ちょっと、熱いかな」
「…………そうかも」
「…………ね」
「…………うん」
「…………」
「…………?」

 …………ん?

 詩織の顔が赤い。

 公は、はた、と気が付いてしまったのである。

 顔の距離が近いことに。
 そして、自分の目の前にいる幼馴染みは、主観的にも客観的にも尋常じゃなく可愛いことに。

 寝間着姿の詩織もいいね。
 と、頭の中のこびとさんが、訴えかけていることにも。

 シーツに映えるように、いつもより紅い髪……に見える。
 思わず公は詩織の長い髪を一房、手に取る。
 昔からそうだが、公に髪を触られるのは詩織は好き。
 こんなに長いのに、手入れが行き届いていて、手が引っ掛からない上にほとんど枝毛も見あたらない。
 まったくもって隙がねぇ女だと思う。

 詩織はすっかり安心して目を瞑ると、気持ちよさそうに身を寄せた。


「……ありがと」

「え?」

「一番最初に、お見舞いに来てくれたから」

「そりゃあ」

「やっぱり、私と公は赤い糸で結ばれているのね」

「あ、う、うん。俺もそう思う」

「えへ」

 詩織はよく自分の気持ちを再確認したがる。
 その度に好き度が順調に上がっていくという恐ろしい設定になってます。

 詩織は公に向かって両手を差し出した。
 これは抱っこして、のスラングである。
「詩織、病気なんだから」
「元気だもん、いいの」
「そんな事言って」
「いいの」

 公は軽く苦笑すると、詩織の腕を引いた。
「よいしょ」
 寝ていたためか、多少体温の高い詩織を背中と膝に手を回して持ち上げると、自分の膝の上にちょこんと載せる。
 そのまま詩織の背中から腰にかけて両手を回してそっと抱きしめる。
 安心したのか、詩織は公の胸板に顔をくっつけた。
 うーん、詩織ってやっぱり軽いなー。
 羽のように、とは言わないけれども、でも軽いよ。



 くいくい、とシャツの裾を引っ張られる。

「ん」

「好きよ……」

 そういう事を言われると、男としては嬉しくなったり恥ずかしくなったり欲情したりするのだが、詩織はあまり分かってない。
 顎に手をかけると、軽く上を向かせた。
「あ……」

 嫌?
 と、公は目で聞く。
 嫌……………………………………………………じゃ、ない。

 詩織は観念したように目を閉じた。


「公ちゃん……」
「しお」

 ぴんぽーん





 玄関のチャイムに驚いて公と詩織は目を見開いた。






2 お手軽な熱帯とは


「おじゃましまーす!」
「しまーっす」

 元気な声は良い声である。

 詩織の母に迎え入れられたのは、放課後になって暇になった連中。
 手みやげに洋菓子屋でケーキを買って、お見舞いに来たというわけだ。
 部屋のドアを開けると、詩織がベッドの縁に腰を落としているところであった。
 まず、夕子が一声を発する。


「あんれ、藤崎さん起きてたの?」
「詩織ちゃん、顔赤いよ。平気なの……?」
 その肩越しに、愛が心配そうに覗き込んだ。

「あは、はは……」
「詩織ちゃん?」




 あ、危なかった……!

 ベッドの下で、公は呻いた。

 掃除が行き届いた絨毯上である。
 埃も落ちていない。
 さすがに詩織は掃除も徹底的だなあ……、なんてことはどうでも良くて。

 五秒前までは藤崎詩織を思いっきり抱きしめていたのである。
 ギリギリのタイミングで下に隠れることが出来たのは我ながら驚き。

 くそ、久しぶりにいい雰囲気だったのに……。

 公は運命を呪いつつも、ベッドの下からばれないように辺りを見渡す。
 ばれないように気を遣うのが大変だ。
 えーと、朝日奈さん……と、美樹原さん。
 ああ、……清川さんと、片桐さんもか…………、随分大所帯で来たんだな?


「……お邪魔するわ」


 げ。

 雪原を切り裂く氷雪のような御声。
 忘れようとしても忘れられないその声質はアレだ。
 まさかあの人では……。

「あら……、主人君の姿が見えないわね」
「公は……、その、さっき来たけど、着替えに帰って……」
「玄関に運動靴があったわ」
「そ、それ、お父さんのなの」
 部屋を一瞥すると、結奈はすぅと目を瞑った。
 とりあえず、表面上は納得してくれたようだ。
 背中に嫌な汗が浮かぶのを公は感じた。
 なぜ詩織の見舞いに……。


 望は腕を組んで納得した。
 こっちは性格上特に疑っていない。
「ま、主人の分のケーキは買ってないからなー」
「望ぃ、気が付かなかっただけなじゃないの……?」
 人差し指を望の頬にひたひたと付け、彩子のツッコミはかなり正確である。
「う……彩子だって何も言わなかったじゃないか」
 自分に当てられないように夕子はそっぽを向いている。
 こういう連中です。

「詩織ちゃん、具合はどうなの……?」

 心配しているのが愛一人だというのがなんともらしい。



 早い話、詩織の体調は良い。

 そうなると一気に談笑ムードになる。女の子達ってこうである。
 机の上に母が差し入れた紅茶とケーキを並べて、制服姿の女の子らはお茶会らしきものを始めてしまうのである。
 おかげで公としては出て行くタイミングが掴めなくて困る。
 今更、

「やあ、みんなもお見舞いか? 奇遇だね」

 と、ベッドの下から出る。

 うわ、カッコワルイ。

 当の詩織はというと、時折公の事を気にするものの、すっかり談笑ムード。
 愛とおしゃべりしたり、夕子に色々聞かれたり。
 半分、公のことは忘れていたりして……。



 公は思った。

 ここ、暑いなぁ……。














「そういえばさー」

 夕子が妙に意味深げに望の方を見た。


「清川さん、彼氏が出来たんだってー?」

 ケーキかお茶が望の口の中に入っていたら吹き出していたところです。
 フォークからシフォンケーキがぽろりと落ちた状態で望は凝固した。
 ナ  ゼ

 ナゼ、朝日奈が。

「Really?」
 案の定、親友の彩子が反応した。
 身を乗り出すようにして、横に座っている望に近づく、
「なに、望ったら、そんなこと一言も言わないじゃない」

「うーん、私の友達が男の子と一緒にいるところを見たって言うのよねー」
「な、ななななな」
「へーえ、どんな人?」
 当の本人はフォークをブンブン振り回して容疑を否定しまくります。
「い、いないっ、そんなのいないってば!」
 真っ赤になって否定する望を見れば、ああ、やっぱりいるんだな……と分かりそうなものだが、そこまで気が回らない。というか、性分的に気が付かない。


 結奈は興味が無い様子だが……一口お茶を啜った。
 愛は頬を赤らめつつ俯いている、しかし、真剣に聞き耳を立てているところである。奥手なくせして、けっこう野次馬根性のある娘だ。
 詩織は話に参加したくてウズウズしているが、先日「誰にも言わないでね」、と無理矢理約束させられたで律儀に口を噤んでいる。

 ちなみに要と望はまだ付き合っていない。

 誰かさんが追いかけると誰かさんが逃げるのだ。
 そりゃ、いくら浪漫素を感じても無理な相談である詩織ちゃん。








 公は限界を感じている。



 暑いよ詩織……。






3 望の思惑


「あ、公」

 詩織はようやく公の存在を思い出した。
 忘れてました。

 夕子も望も彩子も愛も、……結奈も詩織を見る。

「あ……、あの。公、どうしているかなって思って」
「相変わらずラブラブなのね、うりうり」
「早乙女君とだってそうじゃない」
「そ、そう……?」
 さらりと返され、珍しく照れる夕子であった。


 詩織はどうしようかと考える。
 なんだかいい雰囲気なので、放っておいたらあと一時間は滞在しそうである。
 むぅ〜?

 考える。

 考える。

 すごく、考える。

 ん〜。


 この部屋にいる面々をゆっくりと見ていく。
 …………………やっぱり、清川さんかなあ。
 と、思った。


 一番近くの望の耳元で、そっと囁く。

「清川さんケーキのかけらが落ちているわ」

「えっ、……、さっきのやつ?」
 望は言われて初めて気が付いた。
 拾ったと思ったんだけれど……。

「ほら、ベッドの下にかけらが」
「ん? どこだろう」
「もっとそっち」
「んん?」

 絨毯の上を視線がなぞる。

 無い。

 もっと奥に潜り込んだかな?


 んん〜?


 …………………………あ、れ。


 べた。

 望は絨毯に顔を押しつけ、ベッドの下を覗き込む。







 げっ。



 公がいることにようやく気が付いた。
 な、なんだってこんなトコロに。
 …………、あー。
 でも。
 なんとなく事情は想像出来る。
 大方、いちゃいちゃベタベタしていたところに私たちが来たから慌てて隠れたのだろう。

 発見したのが彩子でも朝日奈でも、そう思うはずだ。


 はあ〜。

 まったく、主人の奴言ってくれれば今日は来なかったのに。



 ……、こいつ寝てるのかな?

 公はこちらに顔を向け目を閉じたままである。

 …………。

 まてよぅ……。
 ひょっとして……。


「あ、朝日奈、美樹原っ、……っと、彩子、そろそろおいとましようか!」
 両手に力を入れて体を持ち上げると、不自然に焦った表情で促した。
 起きあがったと思ったら、突然何を言い出すのか。
 まだ来たばかりじゃない?


「清川さん、私まだ詩織ちゃんとお話したいな……」

「ほら、ゆっくり寝ていないと良くならないだろっ? 美樹原、友達を思いやる心持ちは必要だぞ。と〜も〜だ〜ち〜」
 なんたる強引さ。
 ずい、と寄った顔に一瞬考え込む愛ではあったが……、
「う、うん。詩織ちゃんはお友達……」
 戸惑いつつも愛は簡単に言いくるめられた。
 それでいいのか愛。
 そろそろ社会人にもなろう年齢だが、平気かメグちゃん。



 夕子はそんな望を見て、得心いったかの様ににやっと笑った。

「……ははぁ〜ん、清川さん、噂のカレとデートの約束でもしているんでしょう」
 とんだ逆襲を食らったモノである。
「な」

「ずばり、そうでしょ」
 びしぃっ! と腰に手を当て、シフォンケーキの刺さったでフォークで望を指す。
 ちなみに口元はクリームだらけである。

「でー……、………………。あ、あ、たし、デートだったかなぁ」
「やっぱり!」
 夕子は嬉しそうに胸の前で両手を合わせる。
「じゃあ仕方ないわよね〜。新婚カップルだもの」
「う……、ね、ねえ、デートはたのしいよね。アハハ」
 乾いた笑い。
 人間、あまりにも笑えない冗談を聞くと、逆に笑うしかないと言う矛盾。
 素晴らしい。
 西要の顔を思い出しながら、頬が引きつる。
「じゃ、デエトあるから、カエロ?」

「望ぃ。なーんか、棒読みなんだけど」
 胡散臭そうな声を出す彩子。
 怪しさ爆発。
 夕子と違って、こっちは全く信用していないのである。

「い・い・か・らっ!! ほら、朝日奈、美樹原」

「わ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよぅ」

 望は床に置いてある鞄をぐいぐいと彼女らに押しつけた。
 押し出されるように愛、夕子と廊下に追い出される。

「彩子もっ!」

「わ、分かったわよ。そんなに怒らなくてもいいじゃない。帰ればいいんでしょ? ……じゃあ、藤崎さんお大事にね」
「うん、ありがとう」
 詩織は当初の目的が果たされて嬉しいのか、にっこりと微笑む。
 まったくもう……、とブツブツ文句を言いながら下に降りていく面々。



 結奈は、最後にゆっくりと立ち上がった。
「紐緒さんも今日は来てくれてありがとう」
「………………気まぐれよ……。私も帰るわ……」






 望は部屋を出ようとした紐緒結奈の襟首を、むんずと掴む。
 その制服の襟首がぎゅっと絞まった。
 詩織は目を丸くする。

 人も殺せそうな気を伴いながら、結奈はゆっくりこちらを向いたのである。
 僅かながらではあるが、確実に怒気を孕んでいる淡泊な声。

「……………………………何か怨みでもあるのかしら」
「いや、用はあるけど怨みはないかな……」
「……………………」
「………………あははー」
「…………死にたいの」












 一分後。

 ベッド下から無理矢理引きずり出された公は、ぐったりしていた。





 詩織は公の体にすがって、ぶんぶん揺らした。




「あ、ああああ! こ、ここここ、公ちゃん!!!」



 ここまで慌てた詩織を見るのは、ちょっと珍しいかもしれません。











SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送