スタン


 スタン


 タン


 タン


 タン




 階段を上がってくる心地の良いスタッカート。

 たたたたたっっと、音が近づいてくる。
 この音を奏でているのは藤崎さん家の詩織ちゃんである。

 詩織は自分の部屋に入るやいなや水を張った洗面器、数枚のタオルをだんっと乱暴に机の上に置いた。
 すると、まるで喧嘩でも売っているかのように、「持ってきたけど!!」と結奈に食ってかかるのである。
 いつもぽけぽけしている詩織にしては、とてもレアな場面かもしれない。



「あなた、慌てすぎよ」

 床に倒れている公の体を看ていた結奈は呆れたように言った。

 座布団を二つ折りにして公の頭の下に敷くと、体をゆっくりと仰向きにさせる。
 姉さん、なかなか面倒見が良い。

「……………、あなた達は面倒な事ばかり持ってくるわね」
「仕方ないじゃんか。主人がこんなじゃあ」
「この手の対処は運動部のあなたが得意なはずじゃない」
「水泳部は屋内練習なのだよ、紐緒くん……、いいからこれなんとかしようよ」
 望はぐちぐち結奈に向かって呟くと、床に転がっている公を指差した。
 結奈が公の横に座り、望は心配そうに公の顔を覗き込む。
 詩織はただただおろおろとしている。


 この三人が一緒にいることは、最近では決して珍しいことでもないのだが、別に友達同士だから一緒にいるというわけでもない。
 そりゃそうだ。
 模範的優等生と、超体育会系、狂的理系の組み合わせ。

 詩織の恋人であり、望の良き友人であり、結奈の……、えーと、おもちゃ……?


 繋がりで言うと公が中心であり主役のはずなのだ。
 接着剤みたいなもん……。


 その公は熱中症で撃沈してますが……。





「まったく……」

 結奈は軽く頭を振った。












詩織ちゃん! 外伝「また、藤崎詩織の場合 後半」



1 公と詩織と望と結奈と。

「それじゃ、藤崎さんはタオルを水に浸して軽く絞って」

 大して感情の籠もっていない、結奈の声。

「タオルを? うん、うん」
 詩織は馬鹿正直に言われるままにタオルを洗面器に入れる。ぴちゃん……、とたまに水が滴る余裕を持たせて絞り、それを結奈に手渡した。
 結奈は詩織から畳まれたタオルを受け取ると、今度は望の方を見る。

「あたしは?」
「シャツを脱がせて」
「ん」
 特に、望としては異論が無いので言うことを聞く。
 ここが、直球思考の怖いところです。
 公のシャツのボタンを上から外していこうとする望ちゃん。

 ところが、それでは済まないのがこの部屋の主である。
 自分以外の人間が公の上着を脱がせ始めるのを見て、詩織は仰天した。

「えっ? えっ? 清川さんは、なにするの?」
「なにって、…………えー、と。……? 紐緒」
「応急処置」
「そう、それ」
「でも」

「何故、慌てるの?」
 結奈は、不思議そうに詩織を見る。

「だって!」
「…………」
 純情な詩織としては恋人の肌を見せるのはものすごぉく抵抗があるのだ。
 結奈は詩織の必死な様子に、目を細める。
 この人は、普段は理屈>>感情です。
「キヨカワ、構わないからやりなさい」
「らじゃ」
 結奈は詩織を羽交い締めにし、望は上着のボタンに再度手をかける。
「あわ、わあああ……」


 意識のない人間から服を脱がせるのは骨が折れる。
 それでもどうにか公の白いシャツを脱がし、その下に着ていたTシャツも脱がせる。
 着ているものはすっかり汗を吸ってぐっしょりになってしまっていた。

 望の片方の手には、詩織の勉強机の上にあった下敷き。
 団扇のように公の体を扇ぐ、
 実際公は楽なのだろう。
 涼しい風で閉じられた目の力が少し抜けてきたような気がする。

 緩く水を絞ったタオルで体を拭きながら、望は言った。
「こいつ、いつの間にかいいカラダになったなあ……」
「あ……ホントだ」
 と、これは詩織。
 気絶しているのを良いことに、公の体をじろじろじろじろ……。
 毎日のように放課後に伊集院家の施設をず〜っと使わせてもらっていることを、詩織達は知らない。
 その後に、要と練習しているのである。
 公が言っていないだけ、という見方も出来る。

 照れくさいしね。



「キヨカワ、上半身だけじゃなくて下もよ」
 どうも、結奈はこの展開を楽しんでいるような節があるのだが、気のせいだろうか。


 まあとにかく、詩織はそれを聞いて卒倒しそうになったのである。






2 理性と現実と。


 !(詩織)

 ……?(望・結奈)

 !!!!!(詩織)

 ?(何か言われている二人)

 っ!!!!、!!!(詩織)

 ????(冷静な方々)

 !!!!!!!!!!!(以下略)




 …………てなわけで、詩織は結奈も望も追い出してしまった。
 後は自分がやる、と。

 顔を見合わせた二人は、まあ理由は理解できたのか、下に降りていった。

 気持ちじゃあないです、あくまでも理解したのは理由である。
 ま、そんなわけできらめき高校の両極端、凸と凹は詩織の母にお茶でも御馳走になることにしたのである。







 乙女になんて恥ずかしい事させるのかしら……と詩織は思う。
 他の人にやらせるぐらいなら自分が……とは思いはしたが。

 詩織は唾を飲み込むと、公のベルトに手をかけた。
 まじりっけなしの純情をひたすら培養したような彼女なのだ。
 もう真っ赤なのである。
 公の腹筋の下にあるバックルを指で触るが、カチャカチャカチャカチャ言うだけ。
 音がするが手が震えるだけで、上手く外せない。

 お、おかしいなぁ……。
 緊張の極地にある為か、指が震える震える。
 ん、ん、ん。

「あれ、あれ?」


 タイム。

 こんなときこそ、落ち着くの。

 一度、目を瞑って、深呼吸してみよう。


 すぅ。


 はぁ。


 すぅ。


 はぁ。


 よしっ!


 詩織の指先がかちゃっと音を立てた刹那。


 その手は、公によって握られてしまった。




「な、何やってんの……詩織」

「あうあ……」


 そりゃ、公は驚いた。





2 気が付くと。



 上半身がスースーする。

 公は、薄目を開けた。

 いつの間にか上に何も着ていないではないか。
 あれ……、ここ、俺の部屋じゃないな。
 もやが掛かりまくっている頭の中でぼんやりと考える。

 ぼーっとする。
 なに、してたんだっけ。

 まぁ、いいや。


 ……とりあえず起きなくちゃ。




 かちゃ


 ……ん?

 耳にちいさな金属音が響いた。

 なんだろう、と思って顔をわずかに上げてみると。

 ん……、よく見たら、ここは詩織の部屋じゃないか?


 で。


 詩織が自分のベルトに手をかけているのである。

 即座に公は上半身を持ち上げて、詩織の手首を掴んだ。

「な、何やってんの……詩織」







 部屋には公のシャツが無造作に落ちていた。

 詩織は耳まで血が上って顔がかぁ〜っとなるのを自覚した。
 どう見ても、これは自分が公を襲っている図ではないか。





 …………あ、そっか。

 俺、のぼせて……。

 そう。
 暑くて。

 でも。
 出られなくて。

 そっか、看病してくれてたのかな。

 ちら、と室内を観察すると水を張った洗面器、絞られたタオルがテーブルの上にある。
頭の中の情報がちりんと音を立ててわずかに結ばれていく。
 なるほど。

 もう一度、詩織を見る。

 公に片腕を取られたまま顔だけは下を向いて、真っ赤。
 事情はなんとなく分かったが、詩織の仕草は公の「何か」を突っつく、突っつく、突っつくのだ。
 こいつの困った顔は、はっきりいって可愛い。

 何かとは加虐心である。





3 ちょっと加熱気味。


「あっ」

 手を一端離すと、女の子座りをしている詩織の背中と腰に手を回す。

「あの」

 抗議は聞かなかったことにする。
 自分と比べるとかなり小さな体躯を、しっかり抱き、一気に持ち上げたのである。
 裸の彼氏の二の腕に心臓の鼓動が速くなる詩織。
 公は、彼女の体をベッドにゆっくりとおろした。

 ぽふん

 詩織の重みで、シーツに皺ができる。

「ほら、病人だから寝ていないとね……詩織」
「あ…………う、うん……」
 公の矛先が逸れたと思いこんだ詩織は、やや表情を和らげた。

 しかし、それは大きな間違い。



 公はベッドに腰をかけると、半身を捻り、詩織に覆い被さるような姿勢になった。

「んで、詩織、何してたの?」
「………」
 矛先は変わっていなかった。



 正直に言ってしまえば良いのだ。
 あなたが熱中症で倒れたからなの。
 そうすれば、話は終わり、チェックメイトで終了なのである。

 いやいや。

 そうはいかない。
 頭の良い詩織ちゃんではあるが、公の事となると途端に幼稚園児並の思考能力に逆行する。

 現在、頭の中は真っ白け。

 完全に公のペースである。




「みんなは帰ったのか?」
「うん」
「じゃあ、今は詩織と俺しかいないんだ」
「……」
「いないんだ」
「……えー」
「い・な・い・ん・だ」
「………………はぃ」
 耳はもちろん首筋からうなじに掛けても真っ赤っか。
 愛の赤面症が移ったように詩織の顔は紅潮している。
「さっきは……、……………………ちが」
「うん、起きたらびっくりした。まさか詩織が」

「ちがうの」

 がばっ

 逆襲にあった。


 今度は公の頭が真っ白になった。
 顔が、なにか柔らかいものに包まれる。


 起きあがった詩織が公のあたま…………いや、顔に押しつけたのである。
 柔らかな双丘に鼻先が埋まり……薄手の布地越しに詩織の体温をモロに感じて……。
 詩織の胸は想像していたよりもほんの少しだけおっきぃ。


「……」
「だ、だって、なんにも私してないもの」
 詩織は、泣きそうな顔で自己弁護をする。
「…………」
「公が倒れたから、私ね、心配してっ」
「………………」
「ね?」

 でも公は幸せ。
 あぁ。

 たまには苛めてみるものだなあ……、と至福の時を過ごす。

「…………公、ちゃん」
「…………」

 死ぬなら、今が良いな。
 と、公はなんともなしに考える。


「あ、あれ?」
「…………」
「公ちゃん、顔が熱いよ……。まだ、体が熱いの?」
 お前のせいだ、とは公は言わない。
 詩織は立ち膝の姿勢を低くすると、くっつくように公の顔を覗き込んだ。
 テーブルの上に置いた洗面器とタオルを思い出す。
 濡らしたタオルを手に入れようと立ち上がり掛ける詩織の腕を、公は強引に引っ張った。
 ぐ、ん、と引き寄せられた詩織はぽふんとベッドに押し倒される格好となる。


 どこかで見たいつもの展開。

 既視感というやつかもしれな。



4 意外と、心配。


 俺は冷静、俺は冷静、俺は冷静。
 公は自分に言い聞かせる。
 決して、胸の感触が気持ちよかったからじゃなく………………いや、そうかな?
 ほら、だって、もうすぐ卒業だし。
 ねえ?

 酷い言い訳もあったものである。



「ゃだ」

 しかし、詩織の顔を見て一気に萎える。
 泣きそう。
 あんた、いつもそうだぁ!


 でも、それでもっ!
 今日の俺は頑張るっ。

 珍しく公が強気である。
 いつもが弱すぎという話もある。
「あ」
 ぐっ、と詩織のそれぞれの手首を抑え、ベッドに押しつける。
 泣きそうであるが、観念している部分もあるのだろうか、あまり抵抗しようとはしなかった。
 その細くて綺麗な髪に顔を埋め、首筋に唇を這わせる。
「あ……」
 なんでこいつはこんなにいい匂いがするんだ。
 たまらな





「この、ケ・ダ・モ・ノ・ォ〜!!」


 SMAAAAAAAASH!!

 見事なクリティカルヒット。

「はがぁっ!」


 本日二度目、絨毯とキスをするハメになった公は着地と共にそのままスリープタイム。
 今度はどつかれた上に、フライトを経験してからなのでもっと運がない。
 自分を押さえつけていた公が突然空を舞った。
 あまりの出来事に、固まる詩織。

「あまり脳に衝撃を与えるのも考えものだわ……」
「紐緒は黙って! まったく、男って獣なんだからさあ!」
「パー、になるわよ」
「平気! こいつ頑丈だからっ」
 結奈は肩をすくめると、部屋の壁に寄りかかった。
 手持ちぶさたになったのか、タンスの上にあった、詩織のぬいぐるみコレクションを指で弄る。
 なにかごしょごしょとお話をしているように見える。
 ここらへん、結奈さんにも可愛いところが見え隠れする。

 事態が飲み込めず固まってしまった詩織を優しく抱きしめる望。
「よしよし」
 なでなで。
 詩織はどきどきしていて、ちょっとだけ残念だったのである。
 折角、少しだけ覚悟を決めたのに……。


 ところで、良い場面を見物していたのは望と結奈の二人だけではない。
 いやね、邪魔というかなんというか。
 焚きつけそうなひとが、もう一人いた。

「望ちゃん駄目じゃない、もうちょっとだったのにぃ。詩織、いつも押しが足りないから公君が積極的になってくれたのよ〜」
 気絶している公と、望の胸に頭を抱きかかえられている詩織を見比べて、母は心底残念そうである。
「…………これって親の責任かしら?」
「責任と、言いますと?」
「ほら、奥手って罪でしょ?」
「へ」
「公くんも安心して詩織を襲えないじゃない」
「…………それで良いんですか」

「良いって?」

「………………いえ」

 藤崎家と清川家では「多少」、価値観が異なるらしい。



 望は腕の中の詩織を撫でる。
 ふーん、だ。
 男ってやらしいことしか頭にないのか?

 …………。

 主人でこれなんだから、きっとあのバカはもっとすけべぇだったりして。

 ……きっとそうだ。
 絶対そうだ。
 そうに決まっている。


 理屈もへったくれもないのである。
 だから、次に望に会ったとき、その「あのバカ」は大変かもしれない。

 そう、清川望はすんごいの恋愛オンチだったのである。









 ところで、


「…………っく、しょん!!!」


 その部屋にいた人間の視線が、くしゃみをした人物に集まった。


 まさか、正真正銘に風邪を引くなんてね。











 公が。






 俺が何をしたんだ。

 ひたすら運命を呪う週末の公であった。









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送