きらめき中央公園の前で、公は立ち止まった。


 右手に持つスポーツバッグの中身は、サッカー雑誌とスポーツタオル。
 共に新品だ。

 購入したのはついさっき。

 足を止めたのは、西要が公園の入り口の花壇に座っていたから……。


「…………」
「…………」

 お互いに見つめ合う。

 なぜ、こいつは行く先々に現れるんだろう。
 と、公は考えた。



 土曜日の放課後にサッカーの練習が無いとは信じ難いので、大方途中で抜け出してきたのだろう。
 要にとっては部活とは自由参加なのか?

 とは言っても、実際に要の練習量は誰よりも多い。
 朝練と放課後練習に加え、夜は公と一緒。
 朝から晩までサッカー漬けで君の青春って一体、と聞かれかねない。
 そう考えると、たまに練習抜け出したりサボったりするのは、趣味なのかもしれないなあ。

 怒られても怒られても反省しない要にも大問題があるのだが。




「清川がさあ……」

「なんでお前はいつも唐突に話を始めるんだ……」
「冷たい、ような気がする。いや、絶対」
「それはいつものことじゃないのか?」

 しかし、要はゆっくりと頭を振った。

 だったら、いいんだけど。
 もっと深刻。
『あたしは、話すことない〜!』
 って、俺から逃げてるもん。
 それはそれで面白いから、まあいいんだけど。


「………あー」

「今度はなんだよ」
「公、あれ藤崎じゃないのか?」

「……本当だ」

 すんげえ目が良い要。

 公もいいが、こいつのは野生のそれに近い。
 坂を下りた通りの向こうを歩いている小さな人影、確かに彼女だ。

「どこ行くんだろ」
「公、尾行するか?」

「そんな馬鹿な」


 俺は詩織の保護者じゃありませんよ、と。
 二十四時間行動を把握しなきゃならない義務は無い。
 そんなことしたら、すとーかーではないか。


 とは、言いつつも、もちろん気になるのだが。

 できることならは二十四時間監視してみたい……と思ってみたりするわけで。

 日記とか付けてみたい。

 観察日記、詩織の生態。





 そう言ってみたら、要からは気の無い返事が返ってきた。


「すけべ」

 くそう、お前に言われるなんてお前に言われるなんて。


 何も言い返せない公であった。









詩織ちゃん! 十八話「センタクセッケン」








1 伊集院メイの苦悩。


 てくてくてくてく。



 てくてくてくてく。



 たまに学生が通るだけで、普段は人気のない遊歩道だ。

 伊集院メイは自宅へ向かい、無言で歩いていた。
 頭の上に髪どめを付けているので、歩くたびにぴょこぴょことまとめた髪の毛が揺れる。
 誕生日にもらったメイにとっては特別な物なのである。
 詩織のネックレス同様に、きちんと毎日付けている。




 てくてくてくてく。



 ぴょこぴょこぴょこぴょこ。



 てくてくてくてく。



 ぴょこぴょこぴょこぴょこ。



 てくてくてく、て……。

 大切な人にもらった髪どめがぴょこぴょこ揺れる。


 おチビさんは、歩くのがやたらと速かった。

 標準的な男子高校生ならば二歩で歩く距離を、メイは三歩かかる……にも関わらず、歩く速度は同じなのである。
 時間を無駄にするのが嫌いなのか、単に落ち着きがないのか。
 大抵は無言で歩き続けるのであるが、たま〜に一方通行で話し始めたりするので要注意。

 最近考えているのは、専ら姉の恋をどうにか成就させてやりたいということ。

 お姉様は奥手だから、ちっとも話が前に進まないのだ……。
 奥手というのも困った物かもしれない。
 ここは、メイが手回しをしてやらないといけないのだ。

「どうしてやろうかな?」


「え?」


 すぐ隣を歩いていた男の子……がメイの方を振り向く。
 メイはしまった、という顔を作らないように少し頑張らないといけなかった。
 中肉中背で全体的にこざっぱりしたイメージを受ける男の子である。

 特に顔立ちが濃いわけでもなく、かといってなよなよしているわけでもなく。
 二枚目すぎるというわけでもなく、でも、整っていないとも言えない。
 ……なんというか。
 ………、すごく公に似ている。
 これがメイのレシカというやつです。

 ただ、メイは基本的に人前ではべたべたする子ではない。
 だから学校での素っ気ない態度を間近で見ていると、「本当に彼女と付き合っているのか?」という考えが脳裏をかすめたりする。こうして一緒に帰っていても他人の目があると手を繋いだり、話が盛り上がったり……はしないのである。

 相手が悪い。

 伊集院メイは孤高の人なのだ。
 そんなみっともないところを誰かに見せるなど……。

 その代わり、二人になったときはギャップが激しいらしいっす。




 さて、土曜日の放課後は化学部の活動がない日なので、帰宅がいつもより早い。
 学校に残っていても二人は手持ちぶさたになるだけなので、特に用がないならすぐに下校することにしていた。


 メイはプイ、と顔を背けた。

「別にぃ。なんでもないのだ」
 メイは別にぃ、の「にぃ」の所を殊更に強調する。
「なにか言ったみたいだけど」
「メイの独り言なのだ、いちいちうるさい奴だ……」
「なんか悩んでいたりする?」


 メイが立ち止まる。
 それに釣られて僕も。
 彼女が腰に手を当てて、もう片方の手で前屈みに僕の方へ指を突きつけた。

 ぐいっと。

「貴様、女の子の隠し事を掘り起こそうと考えているな?」
「僕で良ければ何でも聞くよ」
「お前には、関係ないなー」

 こういうのを、つれない態度と言う。
 僕はそんなつれない態度にもゾクゾクくるのだが、多少、特殊な趣味が入っているかも知れない。
 もおひとつ。年下の癖にメイはおねだりに弱い。
 キツイ態度の裏で、母性本能は人一倍強いのである。
 二年も付き合っていると、そこら辺はもう十二分に分かってます。

「駄目なの?」
「う」
「駄目? 駄目?」
「…………うぅ」
「ねぇ」
「そ、んなこと言われても……メイは……」
「駄目なの?」
「………………駄目……じゃ」
「じゃ?」
「ない」

 陥落。
 やはり姉の血が混じっているようで、安心。



「…………。例えば……、友達同士で同じ人を好きになったとするのだ。あー、例えばだぞ」
「ありそうな話」
「貴様だったら、どうする?」
「はあ」
「聞いているのか? 例えば、メイを、どうするかって聞いているのだ」
「あ、君なの?」
 相変わらず突拍子もない、設問である。
「えーと、本音を?」
「当たり前なのだ」
 正直、面食らった。
 なんだろうな、いきなりこんなこと聞いたりして……。

「うーん……そうだな、もし伊集院さんが、そっちの奴がいいと言うんだったら、君の幸せを祈って身を引くかもしれない。僕より好きになる相手がいるならね」
「…………。へー。フーン」
 喜んだ様子も、落胆した様子も見せずにメイはただ返事を返した。
 少しは悲しそうにしてくれても良いのに、苦笑するしかない。
 しかしですね、



 嘘。


 うそ。


 真っ赤な嘘である。

 僕はおおうそを、ついた。



 身を引く?

 僕が?

 馬鹿を言っちゃイケナイ。

 このちっこいのはようやく手に入った僕の恋人である。

 叶うことなら、ずっとを希望。

 いくら我が儘で、尊大で、傍若無人で、人を人と思わない扱いをされても!!
 もう僕は彼女を愛しちゃっているわけであり……。
 そこだけは、絶対に自信あります!!
 ……などと考えていることを、メイはちっとも知らない。

「いっそのことお前を替え玉にしてお姉様をだまくらかそうかなー? なんだか、あの公とかいう庶民に瓜ふたつだし……でもばれるかな……。ま、お姉様が怒っても怖くないから別にいいか……」
 何やら酷いことを言っているような気がするが、実際問題さっきから何の話をしているのか、さっぱり分からないのである。
「あれ、伊集院さんってお姉さんがいたの?」
 ぎく。
「……いないのだ」
「でも」
「いないと言っている」
「お姉様って」

「いないのだ! しつこい奴だなあ……」

 ぷい、とメイは顔を横に向けた。
 ここで、さらに何か言うとへそが曲がる。
 付き合いが長いから、もう知ってるんだから、はい。









「あの……実は、いるのだ」

 ぽそっと漏らすのも大抵はメイからだ。
 堪え性がない。
「え」
「内緒だぞ?」
「うん」

 こんな感じで僕たちはけっこう仲が良い。












 てくてくてくてく。

 てけてけてけてけてん。






 しばらく、無言で歩き続ける二人の傍ら。
 元気のないハナミズキの葉が落ちる。
 枯葉が敷かれているとまではいかないが、次第に寂しくなっている並木道だ。
 あと一ヶ月もすればその色を変え、すっかり枯葉となり落ち葉となるのだろうか。
 メイは空をゆっくり流れる雲を見たりして、なにか考え事をしている。





 てくてくてくてく。

 ぴょこぴょこぴょこ。






「ねぇ」

「ん?」
 珍しい事にメイが、優しい口調で話しかけてきた。
 僕は歩調を緩めた。

「あの……」
「うんうん」
「もし……、もし……本当にメイが他の誰かに告白されたとしたら」
「えっ!!!!!」

 はい、足が止まった。
 驚いた。
 本気で驚いた。

「本当にっ!!」
「ば、馬鹿、大馬鹿者! 大声出すな!!」
「だ、駄目! そんなの、駄目だよ!」

 予想よりも大きな反応に、メイは真っ赤になって手をぶんぶん振る。
「だ、駄目って……されてないのだ、大声をだすなっ」
 背伸びするようにして彼の首に手を回すと、ぎゅっとしがみついた。
 暴れ馬を沈めるがごとく。
「………………されて、ないの?」
「メイは、言ってみただけなのだ……」
「…………」
「……でも、あの、い、今の……本気? う、嬉しかったのだっ…………」
 なんだか、感動と想像の「ツボ」に入り込んでしまったらしい。

 感極まってふにゃっと泣きそうな顔になっている。
 メイは、しがみついたまま、ちら、と僕を見た。
 金色の短い髪からとっても良い匂いがする。

 ああっ、
 かわいいなあ、もうっ。
「あっ」
 ぎゅっとその小さな躰を抱きしめる。
 人目なんてこの際どうでもいいや。




 でも、数秒後には、怪しげな黒服連中が視界に入ったのです。
 今更ながらに感心するが、伊集院家って、スゴイ。























 レイは、電話機の前でうろうろうろうろしていた。

「そうよね……」

 踏ん切りは付いた。
 後は行動に出るだけである。
 …………、ダメだったら謝っちゃおうかな?




 結構脳天気。

 何をしようとしているのか。






 てんてんてん。

 電話を取る。

 ぴっぽっぱっ

 っと

「……、あっ、藤崎さんですか?」
『あ、レイちゃん』

 はろー。


 ということで、放課後、藤崎さんを呼びました。

 伊集院家に。


 話の内容に、詩織固まる。
 はい、

 さん

 にい

 いち

「えええええええええええええええ〜!!!!?」

 恐らく、生まれてから今までで一番驚いた。


2 伊集院レイのの決断。


「なんとおっしゃる」
「ウサギさん」

 場に入っていって茶化せたらさぞかし愉快だろうなあ、と思いつつ二階の窓から聞き耳立てているのは伊集院父。
 なにやら階下のテラスでは楽しそうな会話が始まっているではないか。
 高校に入ってからというもの、レイもメイもしょっちゅう楽しい出来事を持ち込んでくれてちっとも飽きない。個人的に友達も増えたし。
 このような孝行娘を持って嬉しいです。
 ここは茶菓子が欲しいなあ。

 うん。

 と、思いつつ紅茶を飲む。


 ポッケにクッキーが入っていたのを思い出しました。



 三十五分前。

 着替えていたところ詩織は呼び出しを食らった。
 暇だったから、公の家に遊びに……もとい、窓からおじゃましようかなぁと思っていた矢先にである。


 五分前。

 たどり着いた先は何故か伊集院君の家だった。
 ?
 別段、不可思議に思わなかった。
 大体この時点でおかしいのだが、なんとも思わないのはまあいつも通りの詩織。


 一分前。

 玄関で出迎えた外井に丁寧に廊下を渡り二階のテラスへと案内された。

 詩織は知らないが、ここはよく公とレイがお茶を飲んでいた場所でもある。
 そこには伊集院君が立っていた。
 ?
 いえいえ、この時点でも何ら不思議に思わなかった。
 詩織ですから。


 目の前にいるのは、長髪を後ろで束ね、見慣れた青い制服を着た………………、伊集院レイ。

 だけど、今の声は……。
 レイちゃんだったりするわけで。

 先ほどの叫び声へと繋がる。




「な、なにっ!? どうなっているの?」

 詩織の反応も当然ではあるが、これには伊集院レイの方がびびってしまった。
 眉尻を下げて、どんどんどんどん、おろおろしてしまいそうになる。
 素晴らしく気が弱いのです。

「伊集院君……、え、じゃなくて、本当にレイちゃんなの……?」
「は、ははは……はぃ……」
 消え入りそうな声でそれを肯定するレイ。

 長髪を後ろでまとめ、特注の制服に身を包んだ彼は、確かに伊集院レイであったのに。
 だからって簡単には信じられない事態である。
 いちおう、確認してみる。

 具体的に言うと、詩織はいきなり胸を触った。

「ひっ!」

 レイの背中が跳ね上がった。
 両側から胸を抱くようにして二歩後ずさる。


「あ、ホンモノだ」


 下がったレイに対してずいずいっと一歩前に進む詩織。
 もいっかい、触る。
 えい。
「ホンモノー」
「あ、あ、あ〜」
 藤崎詩織は何故か嬉しそうだ。
 今度は胸の上に置かれた手を触ってみる。
 すべすべしていて、柔らかい。
 上気したレイの顔が朱塗りの置物のように染まった。

 こ、これは!
 た、たたた、たとえ女の子同士でも、これは、せ、セクハラでわっ。

「ふ、ふ、ふ、藤崎さん……っ」

「ホンモノだ」

「ハ、ハイ! そうです!」

「伊集院君は、レイちゃん」

「ハイ!」

「ずっと男の子の振りを?」

「はあ」

「なんで?」

「なんでって………………御爺様の言い付けだから……、長女は、その、あの……」
 ぼそぼそ。

「大変?」

「大変、え、その、大変というか、いえ、別に苦労などは」

「……レイちゃん、嘘付くのへただから好きよー」
 あまり表情を変えずに詩織が、のんびりと言った。


 何か変だ。

 最初しか驚いていない。
 レイが描いていた展開と全然違うのである。
(この人、なんでこんななのかしら?)
 やっぱり、普通と違う……のかしら。
 公や望などとは、藤崎詩織のアタマの中は全然違う。
 それを一番よく分かっているのは公であるが、当の公も詩織を持て余し気味なので、レイなどに理解できるわけもなく。

 詩織はせっせとレイの髪をほどき、ついでに上着を脱がせて、テラスのテーブルの上にまとめる。
「あ……あの……、勝手に」

「ん……と、それで?」
「あの、あの、あ、あのう、今のままですと……」
「と?」
「ど、どっちに転んでも私、『損』、かなー、と。あ、あの、藤崎さん…………手を」
「損……って、どういうこと?」

 ここが肝、重要である。
 レイはごくりと唾を飲んだ。

「わ、私、ですね、そろそろ主人君のことあきら…」

 ドガン


 テラスに飛び込んできたメイによって、レイに全てを話す時間は与えられなかった。




3 いつまで? 



 二人はびっくりした。
 特にレイは露骨にビクッと。

 外井に姉の居場所を聞いたところ、事の顛末までべらべら喋ってくれた。
 息を切らせたメイは両手を大きく広げて、何かを言いかけて……やめる。

 なんじゃこりゃ。

 レイにはきつぅく勝手な事はするなと釘を刺してあったのに、帰ってきたらこれだ。
 恋敵を家に呼んで、おまけに秘密の正体までばらしてどうしようというのだ、この馬鹿姉は。
 ムカムカムカムカ。
 しかし、メイは空いっぱいの「言いたい事」を取り敢えず飲み込み、冷静な振りをしてみせた。

「お姉様、何をしているのだ?」
「ごー……、ごめんね、メイ」
「あのね、メイに謝られても困るのだ」
「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ!」
 顔をわずかに曇らせ落胆の妹に罪悪感を覚え、レイは反射的に謝ってしまった。
 メイのことはすっかり忘れていたのだ。

「はぁ……お姉様が何を考えているのか……、さっぱり分からないのだ……」
「だ、だって……」
「……おかげで台無しに……折角……、連れてきたのに……計画が……」
「ごめん……」
 目線を下に向け、愚痴ている妹に申し訳なさそうにレイも俯いた。

 …………。

 「連れてきた」ってなんだろう。


「あ、なんでもないのだ」
 メイも自分の失言に気が付いたようである。
 レイと詩織はメイが必死に逸らそうとしている視線を辿ってみる。
「お姉様、駄目、そっち向いちゃ……」


 上から見ていた重蔵はおや、と眉を動かした。

「な、なっ、なんでー!? 主人君がーここにいるの?」
 なんですかーっ?




 頭が、まっしろになった。




「えー」
 水を差すように冷静な声で詩織は言った。
「違うもの」


「そうなのだ」
 メイは詩織に追従したように憮然と頷く。
「アレ……は…………………………………………、メイの……か……かっ、か」
 肝心なところ、尻つぼみに声が小さくなる。

「か、か、か…………」
 どうも、言葉が詰まって上手く言えない。

「………………。えーと、手下。下僕なのだ」
「えー?」
「そう、メイの下僕、同じ学校の」
「そっくりなのに……」

「ぜんぜん似てないのにー」
 頬を膨らませて、詩織が否定する。
 公の方が一億倍格好良いもん。と、裏ではこういう言葉が続く。
 小娘、そこまで公が好きかと。

 メイはそんな詩織と姉とを見比べた。


 今のやりとりに、何か思うことがあったらしい。

 詩織の顔を見る。
 なんだか怒っている。

 姉の顔を見る。
 とっても困惑している。

 …………。




「……………………あー、お姉様」
 メイは目を半分閉じると、腕を組んで偉そうに続ける。
「ふーん、だ。やっぱり、やめたのだ。よく考えたら何が楽しくてメイの、か、かか……かっ、かっ……れっ、コホン、下僕を、お姉様のために使わなくてはならないのだ。あー、お前、もう用無しだから帰ってい……」

 その彼氏は呆けていた。

「……い、のだ」

 表現を変えると、藤崎詩織嬢の顔に見惚れていた、とも取れる。

 可愛い……。

 顔、可愛い。

 スタイル、イイ。

 声まで、可愛い。

 超、超、可愛い。

 自分じゃない女にデレデレしてる……と脳が判断した。
 ここから、メイの眼がだんだんと凶悪になっていく。
 姉は状況を理解したのか、詩織の手を取る。
「に、庭を散歩しませんか?」
「え、あー」

 有無を言わさず、レイは凄い勢いで引っ張っていく。




 取り残された僕とメイ。
 お腹の底から振り絞るようなメイの声。

「浮気は死刑……なのだ」

「まじ」

「マヂで」

「そ、そろそろ帰ろうかなあ……」

「ひっ」

「ひ?」

 見ると、メイの眼が少し潤んでいた。
 顔がくしゃっと歪む。
 あ、泣きそう。
 ……えっ? 泣きそう?
「ご、ごめんっ!」
 有無を言わさず抱きしめる。本日二回目。
「ひ、ひどいのだ……」
「ごめんごめんごめんごめんっ」
 メイの頬を涙が伝い、僕のシャツを濡らす。
 泣くところ、初めて見た。
 これはただ事ではありませんよっ。

「そ、そりゃ、メイはあんな美人じゃないし、どうせ背も低いのだ……」
「伊集院さんは頭良くて格好いいし、僕から見るとすごく可愛いから」
「背も低いし、我が儘だし、胸だって、お姉様に比べたらぺったんこだし……どうせ、こんなちんちくりんと付き合うの、お前も嫌なんじゃないかって、いつも思って」
「思ってない、思ってない」
「め、めいのこと、」
「好きに決まってるでしょ!」
「メイも、好きっ……」
 詩織と公に匹敵するカップルである。
 ここだけ昼メロを切り取ったような場面が展開中だが、見物人は父親一人。
 楽しく見物している。


 まったく関係ないが、庭に目を移すと、鶏を追いかけている見慣れた中年の男の姿がある。
 薄い頭が良く目立つ黒沢料理長だ。


 あれは何をやっているのか。







4 やつあたり



 豪華な装飾の天蓋に囲まれたベッドにふらふらとレイは倒れ込んだ。

「………………」
 ふかふかの生地に顔を埋め、ひたすら沈黙。
 体の向きを変える気力もなく、メイに長時間のお説教を頂いたレイは、ただただ脱力の縁にあった。
 ああ、こんなに疲れるとは……。

『お姉様は大体……!!!!』(色々酷い言葉)

 わたし、お姉さんなんだから。
 あんなに長く怒らなくてもいいのに。
 ねー。

 うねうね。

 いじけているのか、自暴自棄になっているのか。
 ベッドの上で身をよじった。
「…………メイは彼氏いて、いーなー……」

『お姉様は姿勢に問題が……!!!!』(姉を姉と思わない、きつい言葉)


 私は、今日ふたつの大きなことをした。
 ひとつは、藤崎さんに自分の素性をばらした。
 もうひとつは……、主人君のこと。
 諦めた。

 唐突?

 意外?

 短絡?

 いいえ。

 これでいいのです。
 多分。

 でも…………。
「うわーん」
 泣けてきます。
 枕元にあった熊のぬいぐるみをぽこぽこ叩く。
 黒くてまんまるの、プラスチックの瞳に向けてしゃべり出す始末。
「嫌いになった訳じゃないもの!」
 足をばたばたさせて、ぬいぐるみの熊に頬ずり。
 すりすり。

 今度は枕を持ち上げ、ベッドに叩きつけた。
 ぼふんぼふん。

「どうなってるのー」



「人形に話しかける子じゃなかったのになー」

 意図しない空間から聞こえた声に、ばっと体を起こす。

 血の気が上ったレイは、振り返った後に、顔を真っ赤にさせた。
 そこには重蔵が立っていた。
 何時の間に部屋に入ってきたのだろうか。

「お、お、おおおおお、お、お父様っ」
「パパは傷心の娘を慰めるために来たんだぞ」
「な、ななななな、なんでっ」
「なんでそれを? そりゃ、見ていたからなあ……」

 盗み見に盗み聞きとは趣味が悪い。
 いえ、趣味ですから。

 それに今日はなかなか興味深いものが見られた。
 レイはともかく、まさか「あのメイ」に彼氏が出来ていたとは思わなかった。
 今度、もう一度連れてこさせないと。
 決定。

 重蔵はそっと近づいて、足を投げ出してベッドの上に座っているレイの頭を撫でる。
「あの、見ていたって……?」

「全部」

「はぅっ」
 うずくまるレイ。
 恥ずかしい、恥ずかしい。
 それは、もう、ただただ恥ずかしい。

「ママも呼ぼうか? いや、冗談だ。で、なんであんな真似を」
「レイはメイじゃありませんから。頭が悪いんです」
 憮然としたようにレイが言う。
「素敵な相手がいる上に、脈がありませんもの……」と。

「正体ばらすのは俺は構わないと思うけどね、……なんで今なんだ?」
「早く手を打たないとメイが暴走しそうだったし。毎晩毎晩、奪え奪えって」
 ぼそぼそ。

「少し、そういうことも考えたけど、友達だもん、そんなこと出来ないもん……」

「なんか暗いね」
「私、もともと根暗だから……」
 ごにょごにょ。

「知ってる」
「…………」

「暗いなあ」
「…………」

「根暗」
「ううっ……」

 お父様は私を慰めに来たのでは……。
 それとも、私で遊びにきたのかしら……。


「公君にはどうする気だ? 何か言うのか?」
 レイは目を丸くした。
「なっ……。なんで主人君の名前をっ」
「なんでって……」
 ダチ、なので。

「うん、でもまあ、そういう優しいところメイよりレイを評価しているんだ。あの子もお前の為を思っているわけだ」
「う、うん……」
「メイは筋金入りのシスコンだからな……」
 と、娘離れできない親が言う。

 重蔵は軽く頬を緩ませて撫でる手に力を込めた。
 ごしごし。
 ちょっと痛い。
 重蔵は空いている方の手で携帯電話を取り出すと、グループ「愉快な仲間達」を呼び出す。

「ちょっと待ってな」

「…………え」

「公君を呼び出してやる。こっちも踏ん切り付けたいだろうから」

「え、……え? 私、そんな事言ってな……」
「帰ってきたら失恋パーティを開いてやるからな」
「お、お父様っ!」
「……冗談」

 重蔵は、軽く片目を瞑って見せた。





5 手伝い


「あいつ……」
 何かに気が付いたのか、公は眼を細める。

 やっぱり、あいつだ。

 きらめき中央公園の池の周囲に繋ぎ止められているチェーンに、クラスメイトが座っていた。



 夕闇に照らされた水面を見て、ぼーっとしている。
 白いシャツの襟と、頬が水面から反射する橙色の陽光で朱に染まっていた。
 私服姿の伊集院レイ、だ。

 なんとも、話しかけづらい表情だな……。
 最近はあんな顔見なかったんだが。
 もしかして、あんにゅい?

 近くまで来ておいてなんだが、公は引き返そうと半身を返す。



「……おい」




「さーて……っと」

「おい庶民」

「暇を潰すにしてもここじゃあな」

「こらっ!」

 適当に無視してあしらったところで振り返る。
 正直には対応しづらいというか。

「なんだよ……」
「……はっ、僕を無視するとは偉くなったものだな」
 伊集院は鼻を鳴らして、俺を小馬鹿にしたような表情になる。
 それでも昔のような刺々しさはもうなくなっているのは、成長したところだろうか?
 伊集院でも成長するんだな。

「五月蠅い声出さなくても聞こえるよ」
「いつもうるさいのは君だ。大体、庶民がこんなところで、何をしているんだ」
 成長した、ような気がしただけらしい。
 喧嘩を売っているのか、こいつは。

 いかんいかん、俺は成長したのである。

 コレは奴なりのこみゅにけぇしょん。

 落ち着け、どうどう。


「俺……、俺は、ちょっと待ち合わせ」
「誰と」
「誰でもいいだろ、伊集院は?」
「僕は…………、そうだな、散歩だ」

「へぇ」

 暗いな。

 とは、言わなかった。
 こいつだって人間だ。
 いろいろあるのだろう。
 だから見ていないふりをしたのに。

 まったく、俺の気遣いをなんだと思っているんだ。


「庶民、何を考えている?」
「べっつにぃぃ」
 公はおおげさに口をいーっと開いて言って見せた。
「気持ち悪い声を出すな。これだから」
「悪かったな」
 嗚呼、俺達、どこで会っても同じ事するな……。
 進歩が無いのか、……単にこのパターンが好きだという線もアリかもしれない。


「庶民は……暇か?」
「だから、待ち合わせだって言っただろ」
「それじゃ、待ち人が現れるまでちょっと付き合わないか」
「ん?」

 一応、重蔵と待ち合わせをしている身としてはここを動けない。
 場所を動かない分には構わないかもしれない。
 まあ、いいかな、と思ってみるわけだ。

「ここで、いいのかな?」
「うむ」












 伊集院は口を開かない。

 公も奴にならって、赤く染まった遠くの木とか空を見ている。
 途中、ちら、ちら、とレイの方を見るのであるが、今日はいつもと雰囲気が違うような気がした。
 伊集院がこういう表情をすることはたまにあるんだが、伊集院らしくない。
 と、前なら思っていただろうが、最近は「これ」も伊集院なのかな、と思えるようになってきた。

 うーむ、俺も達観したものである。


「思えば、僕と君は奇妙な関係だな」
「なんだよ、藪から棒に」
 公は頬を緩めて、苦笑した。

「一年中憎まれ口ばかり聞いている……が、不思議とよく一緒にいるだろう?」
「そりゃ、俺とお前の文化だなぁ。……しかし、今までの中で五本の指に入るぐらい変な発言だな」
「ふぅむ? 一番は何かね」
「そうだなあ。……やっぱり、アレかな。去年の修学旅行で俺に言った言葉、『お好み焼きとは何だ?』」
「そ、そんなことを言ったかな」

「言った」

「そ、……そうか」
 レイは顔を真っ赤にさせた。
 白いジャケットと下に付けた青いシャツのせいか、より映える真っ赤だ。
 あいかわらず女みたいに綺麗な顔だなー……、と公は思った。
 大体、男の癖にきめ細かくて、白くて、染み一つ無いこの肌はなんなんだ。
 俺が女だったら、押し倒しているぞ。

 絶対に。


「……、僕は良くも悪くも世間知らずみたいだな」

「自覚しているだけ偉いんじゃないか」
「こういう時は、否定してやるものでは?」
 照れ隠しに頭を掻きながら公に言う。
「そうだなあ、友達だし」
「友達……?」

 レイは改めて向き直ると、もう一度聞くのである。

「僕は、君の友達か?」
「お前なあ……」
 馬鹿か、こいつは……。
 呆れた。

「今更何言ってんだ。赤の他人とこんなに話をするほど俺は暇人じゃない」
「それって、す、す、……好きってことか?」
 レイは柵に座っていた身を乗り出して、公にぐんと近づく。
 何だ? やけに絡む……な。
 公は、軽く深呼吸をすると、言った。
「い、言い方を換えれば…………、ってなんか照れるな……。あ、詩織には変な風に言うなよ! 友達の中では! だからな」
「う、うむ」
「お前、本当に分かってるのか? ……詩織に言ったら駄目だぞ」


 確かに好き、って言った。


 そしたら、伊集院は……。



 すごく、見たこともないぐらい嬉しそうな顔をしたんだけど。




















 レイは、待ち合わせているから、と言った公と別れ、公園の入り口まで戻る。
 外井が車を回しているはずだ。

 と、重蔵がいた。

 口実としては、公と待ち合わせているのだからレイと入れ替わりに公と適当な世間話をしに行く予定。
 花壇の縁に腰掛けているコート姿の重蔵に、レイは思いっきり飛びついた。
 くっ、なかなかの体当たりだ……。
 娘をこの手に収めるのは久しぶりである。

 レイは父の腕の中で、小さな声で呟く。
「あのね、お父様」
「うんうん」
「私、臆病だから……恋人より友達の方がいいって思ったの」
「うん」
「せっかく出来たお友達、両方無くすかもしれないの、私損でしょ? だって、今まで一人もいなかったもの」
「確かになぁ」
「だからこれで終わり」

「…………ふーん」

 多分、メイだったら逆の発想をするかもしれない。
 でも、この娘はレイである。
「…………話す友達がいないのは、寂しいよね……きっと」
 要約すれば、手に入るか分からない恋人より、大切な友達二人を選んだということらしい。
 実に打算的だ。
 打算的だけど、悪くはない。

 なんといっても伊集院レイにとっては生まれて初めての友達なのだから……。

 可哀想、という風には重蔵の目には映らない。
 だって、少年はこうやって男になっていくのである………………って、コレは娘だったか?
 ん?


 ごしごし、と目元を拭くと重蔵はレイに向けてにっこり笑った。

「じゃあ、レイに手伝わせてやろうかなー」

「え?」




 何をですか? と、思わずレイは聞き返した。









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