伊集院レイはお菓子を何のためらいもなく食べている公に言い放つ。


「君は、遠慮という言葉を知らんのだな」

 二年生になってからの夏休みである。



 灼熱の太陽の下、何故かこの家は涼しい。

 伊集院家のトレーニングの設備を借りてもう七ヶ月になる。
 ほんの一時間くらいだが。トレーニング、トレーニング。
 シャワーで汗を流したら帰りにお茶してGO。
 みたいな習慣がついてしまった。

 お茶どころか、帰る前に食事までしている。
 公は使える金持ちは使い倒すべきだと思ってます。


 公の見事な食べっぷりに、近くに控えている料理長黒沢は逆に気持ちがよい。

 レイは最近スタイルを気にしだしたようで、やたらに食べることはない。
 これは、料理長黒沢としてはつまらないではないか。
 料理は食べられてこそ「華」です。
 こっそりと、レイの料理に消化促進薬を混ぜておいてあることはナイショ。
 どんどん食べて欲しい。

 間違えてメイの食事に入れてしまった時は、なにやら副作用が出たようで、学校で錯乱したとかしないとか……。

 やっぱり、ナイショ。




「……何故サッカーをやめたのだ?」

「お前、前もそんなこと聞いていたな。どーでもいいだろ。腰を痛めたんだってば」

 黒沢が温めた陶器にお茶を注ぎはじめた。
 お、これこれ。
 この紅茶が好きなんだよなあ。
 レイの顔を見ようともしない。

 御曹司は繰り返す。
「何でまた怪我なんか」

 公はニヤリと笑った。

「……聞きたければ三べん回ってコアラの真似を」
「外井」
「はっ」
 外井は即座に三回転。
 張り出した木の枝に挟まる。
「それは……?」
「コアラは二股が好き、なのでございます」
 ヒソヒソ。
「お前の家ってこんなんばっか?」
「とっくに諦めている。気にするな」
「う〜む」


「さ、聞かせて貰おうか、約束だ」

 今度はレイがニヤリと笑った。

「……たいした話はないぞ」
「いいさ」
 変なヤツ……。
 ま、いいか。

 公は、少しずつ、話し始めた。

 確か、あのころは今ほど何もなかったような気がする。
 あまり良い記憶は無いんだよな。
 詩織がやけに冷たくてさ……。







 外井は挟まったままだ。







詩織ちゃん!外伝「主人公の場合」





「公、ハンカチは持ったの?」



 いつもの朝。

 母親の声。



 玄関のあがりかまちに腰を掛けて靴紐を結ぶ……。
 公の朝。日常。
 時計を見る。

 俺にしては早い。
 そんなことで、嬉しくなる。

 スパァン

 頭を叩かれた。

「こらっ、持ったかって聞いてるの!」
「いってえ〜、持ったてば……」
 思いっきり叩きやがった、パーになったらどうすんだ。
 ヒリヒリと痛む頭をなでる。
 母さん、手加減してくれよ。
「ほらっ、朝練遅れるわよ。さっさと行きなさい」
 なんか、嬉しそうな母だ。


 公はバッグを勢いよくつかむと、ドアを開ける。
 っと……コケそうになる。
 笑い声が聞こえる。
「あはは、相変わらずおっちょこちょいね。そんなんじゃ……」
「そんなんじゃ?」

「行って来い、息子よ!」


 やれやれ、行って来ます。

 まだ、朝の霧が晴れきっていない道路へと、公は足を踏み出した。




 ドアの外に出る。
 ちらり、と隣の家の玄関を見て……二階を見上げる。

「…………」

 現在、朝の六時ジャスト。
 家は静まりかえっていた。
 物音、ひとつしない。
 そりゃそうか。

 公は軽く、ため息を吐くと、気合いを入れて走り出す。


 目指すは学校、部活に遅刻したら洒落にならん!

 中学三年の初夏。
 時はゆっくりと動いていた。





1 おはようございます。


 三年生ともなると雑用から解放されて、練習に専念できる。
 下級生には悪いけど。
 俺たちも通ってきた道だ。気にすんな。ぐわっはっは。
 と、同じ部員は言う。

 朝からテンションは高い。

「まったく、高校に上がったらまたペーペーからやり直しだぜ? たまらんよなあ」
「その点、そこの二人は大丈夫だろ。ど〜考えても特待生の筆頭だろうし」
 レギュラー部員達の視線がこちらに向く。

 ギョッとした。
 なんか、珍品を見られているようで。

「そう決まった訳じゃないと……、結果出さないと目も当てられないし。な、西」
「い〜や、俺は特待生と決まってる」
 綺麗に刈り揃えられた髪。
 西要はきっぱりと答えた。
 どっから出て来るのか、その自信。
「この才能をベンチに座らせておくのは犯罪だろう?」
 要は公に向かってウインクをしてみせた。
 公は苦笑した。
「そうな」
「三歩でトップスピードの西と、速いしテクある主人だろ。二人とも精度高いし、相手からしたら最悪の二人だと思う……」

 ふむ。
 まあ、評価が高いのは良いことだとは思う。

 でも、最近本末転倒のような気もしてきた。


 いくら上手くなっても……。




 朝練が終わり、制服に着替えると部員達はわらわらと教室へと向かう。
 まだ、他の生徒がくるには早い時間だけど、何人かは登校してきている生徒の姿が見える。
 公はグラウンドを横切り、下駄箱へと向かった。

 あ。

 長い髪、綺麗な瞳……クラスは別だが、百メートル先からでも分かる。
 慌てて、公は鞄を持って歩いている少女を追いかけた。
 偶然を装って声を掛ける。
 必死だ。

「詩織、おはよう!」
「あっ、公。……おはよう」
 ぼ〜っと、見とれる。
 この幼なじみの少女は見飽きない。
 全然。

 どういうわけか。


 詩織は不思議そうにくきっと首を傾げる。
 突っ立っている公は、ただただ、間抜けだ。
「じゃあね、公」
「あ……」

 髪の毛をふわっとなびかせ、彼女は行ってしまった、
 詩織の……匂いだけを、残して。

 しかし、まったく公に興味はなさそうだ。
 ちょっと前までは、俺の後ばっかり追いかけてきていたのに。
 この態度の差。泣きたくなるよ……。



「ううっ、涙なしには見れないな……公、いっそのこと押し倒してしまえば、藤崎もお前の甲斐性に惚れるかも……」
 滅茶苦茶な論理をうち立てている要。

 まあ、彼は中学からこんな生徒であった。



2 君は しぶき あげて。



 なんか、最近だるいんだよね。
 夏風邪かな……?

 ショートカットの少女は、プールサイドで首を大きく回す。
 もうそろそろ夏だけど……さすがに外で泳ぐのはまだ寒いぞ。
 水の抜かれたプールを見ながら、呟く。
 普段はクラブに通っているから、学校の施設とにギャップを感じる。
 学校のプールがもうちっと広ければなあ……。
 などと、勝手な事を考えていたり。


 制服姿のまま、プールサイドに座って足をプラプラさせているのが好きだったりする。
 もちろん、水が張ってあったらこんなことはできないけど……、この空気のひんやりした気持ちがね……、良いんだな。

「ちぇっ、あたしの青春水泳一色だなあ……。高校に入ったら巻きかえそうっと」

 愚痴。

 でも、今のところはそれでも良いと思っている。
 タイムも伸びていることだし。まあ、小学生の頃が一番伸びたけどね。
 これからが勝負でしょ。

 ふと、なんとなくフェンスの外に顔を向ける。
「ん……?」
 一人の、少年が立っていた。
 うちの生徒じゃないね。あの制服は。
 何で、私を見ているんだろうか。

 もしかして、恋の告白だったりして。
 ……んなわけないか。

 望は立ち上がった。




「君、誰さ」
 少女の言葉は率直だった。

 金網越しに声を掛けられて、公は少し驚いた。
 何か言いかけた公を止める。
「あっ、ちょっと、待ってな」
 翡翠の髪の少女は、軽快に金網を昇ってひょいっとこちら側に降りてきた。
 その際に、スカートがめくれて……というのは、数年後でも秘密です。
 言ったら最後、殴られるから。


「私、清川望。君は?」
「あっ、え〜と、主人公」
「何で東中の生徒がうちにいるの?」
「練習試合で……あ! そうだ、更衣室の場所を聞こうと思ったんだ」
 忘れてた。

「あはっ、だったらさっさと呼べばいいのに、変な奴」
「あはは……」
 これだと俺って、ちょっと、格好悪いような気が。
「あと、君に見とれてた」
「笑えない冗談は嫌いだ」
 笑顔だった少女の表情が、少しきつくなる。
 NGワードに触れたようだ。

「あ、ごめん……」

「更衣室はあっちだよ、ここを左に折れてまっすぐ。……じゃ、私は行くから」



 怒ったかな?
 望の後ろ姿を視線で追っかけ、公は頭を掻いた。
 笑顔はすごく可愛かった。

 嘘じゃないのに……。







 公は困っていた。
 どうして、こうも迷ってしまうのだろうか。
 美谷中学は敷地が広いから、分かり難い。
 しかも、迷路みたいだ。
 塀ばっかりで門が見あたらない。

 試合は爆勝したし、ここにもう用はないです。


 やれやれ、ここを抜ければ良いのだろうか?
 公は閉じられた大きな門を見上げる。
 その向こうは林のようにも見えるが……。
 塀に手を掛けた。


「何やってんだ?」

 声を掛けられてびっくり。
 思いっきり落ちてしまった。
 ドスン

「いつ……」
 やべっ、学校の人かな、と思いつつゆっくり振り向く。
 しゃがみこんで、何か面白いものを見るかのように公に注目していた少女。
 公の顔をみて、笑う。
「あれ? 何だ、また君か」

「あ……。…………え〜と」
「お前、記憶力無いのな」
「キヨカワ、……ノゾムさん?」

「望だ、ノ・ゾ・ミ!」
 憤慨した望は腰に手を当てる。

「あ、ごめん」
「まったく……で、何やってんの」
 不振そうな目をこちらに向ける。
 でも、半分は興味がある目線。
「あのさ」

 公は門に向かって指を指す。


「ここ、出口?」






「公。遅いぞ、何してたんだ」
 律儀に表の正門で腕を組んで西が待っていた。
 まさか、迷っていたとは言えず、

「トイレ」




 夕暮れの街を二人で歩く。

 影法師が、オレンジ色に染まったアスファルトの上に落ちる。
 まるでノッポさんだ。
「…………」
 公は特に何も考えずに歩いている。
「…………」
 要は何をネタに話しかけようか、模索しながら歩いている。

 変な二人だ。


「な、公」
「ん?」
「もう全国大会だな」
「うん」
「全国制覇したら、A高から誘いが来るだろ。多分」
「そうかもな」
 要は、一呼吸おくと……。
 公を振り返った。

「で、行くのか?」

「…………いや、遠いし」
「そっか! じゃあ俺も行かない」
 言い切った。
 おい、そんな簡単に決めるな。
 公は半分あきれた。

「西はどこへ行くんだ」
「公が行くとこに決まっているだろ。多分、東高校。藤崎はきらめきだと思うから、近いしな」
「ば、バカ。何で詩織が出てくるんだ」
「さあ」

 西は茜色の空を見上げる。
 ばっくれた。



 公は、ポツリと答える。

「まあ、……多分」








3 子供の思惑はいかに。


 A高には行かない。


 そんなの決まっている、俺は一人の女の子の近くにいたいんだ。
 たった、一人。
 何故か、最近つれないお隣さん。


 ……とは言えず。
「遠いから、嫌だ。寮は嫌いだし」
 と、親にはこう言うことになる。

「あんた、バカじゃないの?」
 名門校からの誘い。
 まだ、全国大会の前だって言うのに。
「いい? 公の頭だと一流高校に入るのは無理。だって、馬鹿だもの」
「…………」
「地元の高校はレベル高いからぜ〜んぶ、無理。ね、そういうのは無謀っていうのよ」
「そこまで言う……」
 本当に親か?
 疑いたくなる。

「だから、A高」

 なんだ、ソレハ。
 公に言いたいことはビルよりも高く、山よりも広くある。
 ……でも、養って貰っている身分では何も言えず。

 どうしよう……。




 一ヶ月も経つと、何故か意気投合してしまった、少女、清川望は言う。

「へえ……、どこの家も大変だな」
「清川さんも?」
 早朝、マラソンを一緒にしている。
 最近分かったのだが、この娘、めちゃくちゃ有名人らしい。
 水泳で県大会の記録を面白いように更新している水泳界の新星。
 ……と、言うと照れるので面白い。俺にとっては話しやすい女の子。

「私は県外の高校に行くことになるかも。本当は、きらめき高校に行きたいんだけどね。近いし、水泳の設備も良いし」
 俺もそうしたいんだけれどね。
 なかなか、そうもいかんのよ。
「ま、俺はなんとか東高に行けるように粘ろう」
「ん、頑張れ」



「俺、再来週から全中なんだ、そういえば」
「ああ、地元開催の? じゃあ、決勝まで残ってくれよ。応援に行くから」
「そりゃあ……、きっついね」
「なにをー! 目標は高く持たないと駄目だ!」
 ちょっと、語気を強めたあと………、望はけたけたと笑う。

「だろ?」

 凄い前向きな女の子だな。
 でも、相性は悪くないと思うのである。


 不思議と。





4 変な人。


 青空が遠く、高く。
 う〜ん、本当に良い天気!

 詩織は美樹原愛と一緒に帰ることが多い。
 一番の友達だから。


「三年生だから……受験勉強忙しいでしょ、メグ」
「う、うん。私、詩織ちゃんみたいに頭良くないから頑張らないと……」
「大丈夫、メグはやれば出来るものね。努力の人って好きよ」
 詩織にこの様な言葉を吐かれるとドキッとしてしまうのは、何故だろう。
 そもそも、詩織ちゃんは凄くもてるのに恋人を作らないのかな。
 愛が知っているだけで、詩織は入学以来、数十人の男子を振っている。
 何が不満なのか。

 頭がよいのも。
 運動が出来るのも。
 ルックス抜群のも。
 性格良いのも。

 お決まり文句は
「ごめんなさい」

「ごめんなさい」なんか、枕詞のように「ごめんなさい」
 面白い。
 詩織ちゃんはこれで良いのかしら。


「どしたの、メグ?」
 詩織が顔を伺う。
 あわてて、頭を振った。
「な、何でもないの。そ、そうだ詩織ちゃん、今日、一緒にお勉強しない?」
「今、そう言ってたんだけどな……そうね、OKならそうしましょ」
「う、うん」

 図書館で涼みながら。
 勉強とは乙なものです。






 ピン ポン。

 玄関のチャイムが鳴る。
「詩織、お願い」
 さやいんげんの蔓をむきむきしながら、母は娘を促した。
「うん」
 ちょうど、勉強支度をして家を出るところだった。
 タイミングが良い。
 詩織はパタパタと音を響かせながら、廊下を走る。

「メグ、早いね」
 ドアを開けた……が。

 違った……。

「……こう?」


 公は大きな西瓜を抱えて立っていた。
 詩織の顔を見た途端に落としそうになったっす。
 なんとかセーフでした。
「あらあ、公君じゃない?」
 エプロンで手を拭きながら、詩織の母が娘越しに覗き込む。
「あ、それ西瓜ね。おすそわけ?」
「あ、そうです。田舎から送ってきたんで……」
 公は目の前の詩織に手渡す。
 手と手が触れた。
 公は心臓がドクンといったが、詩織は黙って受け取っただけ。

「良かったら上がっていったらどう? たまにはうちの娘の相手してあげて?」
 公は、詩織の顔を見て赤くなる。
 さすがに年の功というか、公の気持ちはとっくの昔に知っている。

 詩織の母はこうやって公の表情を楽しむのが昔から超スキ。


 公がしめたと思ったのも束の間、美樹原さんが来てしまった。

「詩織ちゃん、図書館に……あ、あれ、主人くん?」
 愛は意外な客人に、口をつぐむ。
「……めぐ」
「あ。あの……?」

 詩織は、愛の手を掴むと走り出した。
 愛は半ば引きずられるようにして、連れて行かれた。
「し、詩織ちゃん〜!!」




 公は虚しくその場に立ちつくす。

「……俺って、そんなに嫌われているんですか?」
「さあ?」
「だって、走って行っちゃったし」
「そうねえ」
 娘の耳は真っ赤だったのだが、公には教えてあげない。

「き、嫌われていたらどうしよう……」


 詩織の母はこうやって公の表情を楽しむのが昔からスキなのです。





5 終わりよければ……。



 夏のグラウンドは暑く、時々水分を取らないと倒れてしまう。
 俺は暑さにはさほど強くないことを自覚している。
 将来が不安だ……。

 東中の相手は淀三。
 下馬評通りの組み合わせだね……。
 不思議と、緊張感は無かった。


 他の部員なんかは初めての決勝でガタガタしてるが……。
 ちらり、と西を見る。
 いつもと同じように、腕を組んで壁にもたれかかっているだけ。
 コイツが一番「緊張」という言葉に無縁そうだ。

「どした、公」
 西がこちらを向く。
「いや……なんでも……」
「さて、行くか。さらっと勝ちに」
 当たり前の事のように、西はさらりと言い放つ。
 なんつー、自信だ。

 ただ、俺もこの大会……負ける気はしないケド。




 後半 42分。
 主人公、相手プレイヤーとの接触で転倒。


 清川望は息を飲んで立ち上がった。

 西要は息もせずに公に駆け寄った。


 腰が……いてえっす。
 うー、こりゃ、尋常な痛さじゃないね。
 …………。

 マジ、いてえ。





 実は不謹慎なのだが。
 そのとき、奇跡を見たね。

 だって、堂々ときらめき高校に通える口実ができたもん。
 西も、清川さんもすごく心配したけど……。



 俺?

 俺は良いと思うよ。ま、これが人生ってやつさ。


 サッカーについては……これが色々考えたんだけど、それは高校に入ってからのお話。



 to be continued……高校編へ











 後は勉強するだけなんだけど。
 俺の頭で受かるかな。

 結構……不安。




















「……と、いうわけだが」

 公は、一息つくと少し冷めた紅茶をごくりと飲んだ。
 レイはあっけにとられたように、聞き返した。

「それだけか?」
「おう、それだけだ。何か期待した?」
「いや……」


 なんか、私が考えていたのと違うのよね。
 全国優勝したのに……今ここにいる彼はサッカーに未練がないのかしら……?
 レイに公の心の内は分からない。

 本当は泣き暮らしたんじゃないのかしら。
 かわいそう……。
 と、勝手な妄想を膨らませて。



 外井は挟まったままだ。










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