第十話シュウガクリョコウ前編

 こんこん。




 驚いた公。



 慌てた公は、窓枠に体を載せて、詩織の腕を掴む。
 この姿勢はアルミ製の窓枠がお腹に優しくない………いや、あと一歩踏み込んで、かなり、痛い。
 ふにっと柔らかい詩織の腕を掴むと、腹筋に力を入れて彼女を引っ張り上げる。
 詩織は当たり前のように公の首に手をまわした。

 勢いで、詩織が公に倒れ込んできた。

 カーぺットに折り重なる二人。

 その際に姿勢を崩した公は、詩織の下敷きになる……。
 案外、しっかりとした重みに公は、
 ……なんか、柔らかいし、躯はちーさいし。
 全部腕の中、そして髪の匂いがふわっと公の鼻腔をくすぐるのである。
 お風呂上がりの詩織は、ボディシャンプーの匂いがして肌もすべすべで……うわーうわー。
 俺、今幸せだー。





 公は、一旦詩織を起こすと、ドアを静かに見守りながら小声で言った。
 シーッ。

「……あのね詩織、窓から入ってきたら危ないよ?」
 詩織はこくこく頷いた。


 そうなのだ。
 ようやく手に入ったお姫様こと藤崎詩織は十時を過ぎたのを見計らって、窓から屋根伝いにそ〜っと公の部屋に入ってくる。
 「それ」用に靴も買ってある。
 確かに、子供の頃……小学生の頃は良くお互いの部屋を行き来したけれども。(そして、見つかると親に叱られた)今頃になってこの「ルート」を使うなんて。
 どうも、前から、考えてウズウズしていた事ラシイ。
 何故なら、詩織は中学の頃も毎日公の部屋を窓越しに眺めていたから。
 親に叱られてへこんだとき、一度行きかけたことがある。
 マジです。

「あの……ね。だって。……だって、公と会える時間が少ないから……寂しくて」
 詩織は叱られた子供のように、しょぼんと俯いた。
 それが、理由のすべてのようだ。
 それは、嬉しい。
 いや、叱らないと駄目だ。

「毎日会っているのに、足りないの?」
 詩織は、コクンと頷いた。
 ……。
「そんなに会いたいの?」
 詩織は、またコクンと頷いた。
 ……。

 ………いかん、鼻血でるかも。
 公は、首のうしろをトントンと叩く。
 ヤバイ……ような気がする。
 女の子座りして、しょんぼりしている詩織の表情がヤバイ。
 こいつは何で、こんなに無防備なんだ……。
 自分の理性に自信が持てなくなりつつある、公。

 高校二年生の梅雨時のことであった。






詩織ちゃん! 第十話「シュウガクリョコウ 前編」


1 準備、準備!

 毎年六月のきらめき高校は修学旅行の季節。

 昨年実地した教員による、旅行前のアンケート。
 どうも、前学年の広島はお気に召されなかったらしい。
 だから嬉々として生徒は書いたのだ。

 例えば沖縄。

 例えば北海道。

 あるいは東京という意見も。

 しかし、結果は違う……あらら?
 奈良、京都です。
 先生はにこやかにこう応えた。

「なっ、アンケート通りだろう?」
 そして、結論。

 騙された!

 先生の一枚上手。職員室では、談笑だ。
 生徒はみんな、こうやって社会勉強を積むのだという……。


 まあ、行き先が不本意であれ、楽しみな旅行であることには間違いない。
 HRの直後、A組は賑やかに、修学旅行の話で盛り上がっていた。

 橘さん。
「温泉、たのしみー! ねー、ユキちゃんお土産なんにするぅ?」
 二階堂くん。
「そうだな、八つ橋以外だったらなんでも可」
「あたし、二階堂君には聞いていない……」
「ちなみに俺は柴漬けが好きだがね」
「……あなたにはべったら漬けがお似合いよ」
 高校生の微笑ましい日常。



「あの〜」

 目の前にゆかりが立っていた。
 寝ぼけ眼をこすり、顔を上げる公。

 おっとりしたゆかりは、例のゆっくりとした語り口で、こう言った。

「主人さん〜、お手紙です」
 公はまだ、頭がぼ〜っとしている。
 ゆかりの声と同じである。

「て、がみ?」
「え〜と、はい、藤崎さんからです」
 ゆかりは、公にルーズリーフを小さく折り畳んだ紙を手渡す。

 これは、友達の正しい使用法その一、詩織の場合である。

『帰ったら、一緒に買い物に行こ? 詩織』

 と、書いてあった。

 ふむ。

 公はさらさらと返事を書き込み、丁寧に、また元の形に折り畳む。
 えっと、これを………。
 あ、あいつでいいや。

 じゃん。

 どこから取り出したのか、太い輪ゴム。
 コンパクトにした手紙を片方に引っかけ、思いっきり引っ張る。
 ぐいー。


 パキッ


「いってぇっー!!」

 帰り支度をしていた後頭部を直撃した物体に、好雄はのけ反った。
 かなり、強く当たったようで後頭部をさする。
「なっ、なんだなんだ?」
 キョロキョロ……。

 ふと、自分の足下に落ちている折りたたまれた紙切れに気が付く。

 ん?
 持ち上げてみた。
『好雄へ 詩織ちゃんへ速達でチュ』
 そう、書いてある。


「俺は郵便屋さんか?」
 公の方を見ると後頭部だけを好雄に向けて突っ伏していた。

「はいはい、届ければいいんだろ、まったく」
 これは友達の正しい使用法その二、公の場合。


「藤崎詩織ちゃん、速達でチュ!」
「でちゅ?」
 不可解な好雄の言動に、詩織は首を傾げた。

「そうでチュ! 俺は用があるのでこれで失礼。じゃあね!」
 正しく言うのであれば、この後夕子と買い物の約束。
 今度遅刻すると、百パーセント殴られる。
 この前、めちゃくちゃ怒っていたからなあ。

 詩織は急いで手紙を開く。
 書かれている文字を読むと、公と同じように机に突っ伏した。
 恥ずかしいのに、嬉しい、そんな感じ。





「……詩織ちゃん。最近、へん」


 愛は、一人で呟くのであった。





2 それぞれの放課後

 公の部屋に入るの久しぶり!

 と、詩織は言う。
 前にも聞いた台詞だが、公は苦笑して詩織に言い返した。
「夜、来たばっかだろ?」

 え〜と。
 緋色の髪を少しの間いじくった少女は決まりが悪そうに答えた。
「えっと、ね。ドアから入るの…………が、ひさしぶり」
 詩織は小さく口元で、意地悪、と付け加える。

 昨晩ぶりの室内を見回してみる。
 ここ何ヶ月かは使われていなさそうな本棚、同じように年季の入ったオーディオコンポ。
 部屋の中に吊してあるタオルはなんだろう?

 詩織の視線は、机の上の一カ所で止まった。

「あれ、写真が違うね……」

「いくらなんでも前のは恥ずかしいよ」
 以前飾ってあった額の中には子供の頃の写真が収まっていた。
 それがこの前遊園地で撮ったものに入れ替わっているのである。

 頭を下げて、写真をゆっくりみつめる詩織。
 じいーっ。

 …………っと。

 あまりに長い間見ているので、公はやや不安。
 ひょっとして、気に入らないのだろうか………。
 それは不味い。

「結構可愛く写っている……………だろう?」


「そういうことは。あまり、問題じゃないの」

 詩織は大まじめに言った。

 はあ、そうですか。

「あのね……これ、右から撮ったでしょう?」
「……うん」
「私、右からだとね、あんまり、可愛くないの……」
「えっ、そんなことはないぞ。詩織はどこから見ても可愛い」
「ううん。でも、そうなの………なの」
 心なしか、唇を堅く結んでいる詩織。

「嫌なの?」
 毎日見られるのが気に入らないのだ。

「じゃあ、撮り直すから………ああっ、泣くな詩織!」
「うぅ〜」
 慌てて詩織を抱きしめてなだめる公。
 強引にごしごし頭を撫でると、数十秒経たずにふにゃ〜と。

 う〜ん、最近、詩織の幼児化現象が進んでいるなぁ……。






 その頃。
 別に日曜日ではないが、伊集院家。

 伊集院家で一番偉い人、レイの祖父伊集院金重は、大広間でお茶を飲みつつ、読書をしていたレイを見つけた。
 白い髭を蓄えた、いかつい紋付きの爺さんである。

「旅行の準備はしなくて良いのか?」
「あっ」
 慌てて、レイは席を立った。

「ええ、支度はもう終わりました」
「しかし、長旅は危険じゃからな……出発する際には、私設部隊の一つでも連れて行ったら良かろう」
「はい?」
 にこにこ可愛い孫娘に語りかける金重。

 レイは、何か嫌な予感がした。

「……お爺さま、私、何も海外旅行をするわけではないです。京都なんて、近場ですから」
「そうか? 何かと役に立つとは思うがな……。そうだ、お前の好きな物を作ってもらえるように黒沢を連れていったらどうじゃな? ほら、外井も言ったれ」

 馬鹿正直な侍従は、馬鹿正直に一歩前に出る。

「では、私めが給仕を」
「………いらない」

 外井に黒沢……。
 本っっ当に、いらない組み合わせ。
 こ、こんなの主人君に見せたら……駄目駄目! 特に外井は駄目!
 見せたら……。

「お爺さま、私本当に必要ないですから」
 すごく、恥ずかしい。

「風邪を引くといけないから小倉先生も伴わせようかの。彼は儂の友人じゃからなー」
 金重は杖をトントンと床に打ち付けると、若いの数人を呼び寄せてアレコレ指図した。あたふたと手を振って追い返そうとするレイ。

「あっ、あのっ」

「ついでに、アレだ。付近で一番高い宿泊先を確保しておけ……そうじゃな、オリオンの系列が良いじゃろ。何なら、儂が交渉して……」

 この時点で、レイの頭の片隅では何かがぷちんと切れたのである。


「いらないって、いっているでしょおっっっ!!」 
 屋敷の窓が震えるような……いやビリビリと震えた。
 金重は固まった。

 怖かったので。




「あら、案外切れるの早かったわ……?」

 レイなのに、意外ね。
 一緒に見物していた重蔵は、

「あれは、孫馬鹿とは言わないのかな」
 と聞く。
 あの親父はレイにだけ甘いからな。
「躾じゃないかしら………et vous?」
「その通り。ただ、そう思っているのは本人だけ。俺の時は、な〜んにもしかなったのにな」
「そういえば………」

 重蔵は応える代わりに頭をぽりぽりと掻いた。
 執務室に山となっている書類を頭の隅に思い浮かべて、やれやれ、俺も修学旅行に行きたいよなあ。

 などと、思うのである。
 そりゃ、駄目です。




 同時刻。他の家。

 朝日奈家です。
 夕子はゆかりと電話で話している。

「ねえねえ、京都といえばアタシ湯豆腐が好きなんだ〜。予約入れて自由行動になったらソッコーで行こうよ!」
「そうですね〜、では、参りましょうか?」
「ウンウン、さすが親友! はっなせるぅ〜」
 食の都に行けば、食い気が先行。

 少女達はいたって健康だ。




 清川家。
 …………いません。

 清川望はランニング中。
 途中で会った、西要にお土産を頼まれた。

「な、くれぐれも公に悟られないように土産……俺は漬け物……、特に京都へ行くなら柴漬けが大好きだ。を、要求してみてくれ」
「自分で頼め、バーカ」

 最近、話す機会が多くて望は非常に不愉快。
 でも、それはお互い様。



 片桐家は?

 ベッドの脇には、赤いスタイリッシュな鞄。
 手で持つ大きさなので、自由行動で使おうと思っているらしい。
 本人は、机で日記を書きながら、音楽を聴いている。

 さすがに彩子は自己管理が徹底しているのだろうか、すでに準備は終わっていた。

「ん、これを忘れたら、駄目ね」
 ひとつ、思い出したようにA5版の真新しいスケッチブックを引き出しから取り出す彩子。
 2Bと4Bの鉛筆を数本、布の筆箱に突っ込むと、一緒に鞄にしまい込む。



 早乙女家。

 目覚まし時計と共に、ブ厚い本が投げられてきた。
 それを難なく避ける早乙女好雄。

 いわゆる、
「お兄ちゃんの馬鹿ぁっ!」
 主人公の写真を撮ってくるように使い捨てカメラを渡そうとした優美と。
「んなもん、約束できるか!!」
 拒否する兄、好雄の話だ。

 ケンカしているおかげで旅支度もままならない状態が続いているのです。
 いつものことではあるが、常に喧嘩をしているなあ、と。





 最後に夜の主人家。

 何故か、カメラを持ち出して柔らかい布で乾拭きしている公の姿があった。




3 急行……特急……新幹線。と〜う、着!


 浜松を通過。
 去年までのバスとは違い、新幹線での旅行は快適であることに気が付く先生達。
 次回からもこれで行きましょう。

 いや、まったく。

 長旅は疲れますからナア。
 とことん、手を抜いている。


 配られた弁当を四つ持って、愛は戻ってきた。
 ふたつ、自分と詩織の席にお弁当を置く。


「あ……」

 困った。

 向かい合わせにしてある席の目の前には眠りこけている公と好雄……それはもう、気持ちよさそうに寝ている。


 肩を軽くポンポンと叩いてみるが返事は無い。

「あの、起きて……」

 今度は揺すってみるが、やはり、返事が無い。


「………」
 犬の世話と同じ様な感触を覚えるのである。



 たっぷり、五秒ほど考えてみる。


 愛は、頑張って大きめの声で言った。

「あのぅ、遅刻しますよ?」


 跳ね起きた。

 もはや、習性と化しているらしい。

「マジで!?」

 好雄も同じだった。

 ドカッ
 急いで身支度をしようとして、公の顎に肘打ち、しかも「強打」してしまったことは愛嬌ということで。

 声もなく、ノックダウン。

 両手にお茶の缶を抱えた詩織が帰ってきた。
 ぽろっ。
 落ちそうになった一缶を、慌てて愛がキャッチした。

「メグ、ありがとう」
「……ううん」
 詩織ちゃんは、最近ポカが多い。……と、愛は思う。



「こ、こここ……、だっ、大丈夫?」

 うずくまっている公に慌てて駆け寄り、詩織は助け起こした。
 公は顎を擦った。
 少し、皮がむけてひりひり痛む。
「大丈夫………じゃ、ないぞぉ」
「公、大丈夫か? 一体、どおしたっていうんだ?」

 たった今気が付いたかのように、好雄は公を心配する。

「親友、あとで話があるからな」
「話……? いや、俺は無いぞ?」




「大丈夫?」

 愛と同じように、お弁当を幾つか持った虹野沙希、である。

「怪我したの………? あっ、私、絆創膏持っているわ」
 座席のテーブルにお弁当を一旦置くと、沙希はゴソゴソとポケットを探り始めた。
「あっ、あのねっ、絆創膏なら私が持っているから……」
 同様に、詩織も荷物を漁り始める。
 とても焦る。
 一体、私の公になにを。



「ほら、見せて、主人君」

 沙希が「勝手に」公の肌に触れたことで詩織は反応した。
 擬音であらわすとピキッと音が聞こえると思う。
 うん。

 そんな事には気が付かない公、鼻孔をくすぐる匂いに意味もなくドキドキした。
 どうして女の子の匂いはこうも芳しいのでしょうか?
 慣れた手つきで公の額に指を当て、優しく、テープを剥がす。

 ぴと。

 貼っちゃった。

「これで良いわね、痛い?」
「いや……大丈夫。はは……は……」

「良かったぁ……」

 嬉しそうな、沙希の顔なのである。

 本当に、嬉しそうだ。


 当然の事ながら、詩織の不快指数はゆるやかな上向きの曲線を描いて行く。

 貼ったなら、離れれば良いのに。

 危険、危険。





4 ここは良いトコ大阪の街……の巻。


 大阪城です。

 遠くから見たときには分かりにくかったが、結構歩く。
 橋を渡ってからの坂道が……生徒達には厳しいと見え、列はバラバラになっているが。
 これは日頃からの体力にも関係しそうだ。

 何故かというと、先頭を歩くA組に、F組の清川望が既にいるから。
 日頃体力の無い生徒達は簡単に追いつかれている。

「ん〜、快晴快晴! 晴れて良かったな! な、主人」
「そうなー」

 ショルダーバックを手に、望と公の行進は続く。
 この二人、先頭。


 は、はええ……。
 早くもヘタレながら好雄は後に続く。

 隣を歩いている詩織に耳打ちした。

 以下、ボソボソ。

「何、早乙女君?」
「虹野さんは駄目で、清川さんは平気なのかい?」
「良いの」
「なんで?」
「公に近いからかな」
 きっぱり応えた。

 不思議なことに、望に関しては詩織は黙認をしている。
 望は公に対してはその手の感情を持っていないと思っているのだ。
 それが本当かどうかは、……当人しか知らない事実である。

「あ、なるほどな〜」
 一応、分かった振りをする好雄。

 俺も公に近いぞ。

 多分。


 大阪城の入り口にはエレベーターが備え付けられていて、初めて見た生徒はやや興醒めする者も……。
 どうも、当時のままを期待していたらしいが、再建された以上そんなことはあり得ないのである。
 関係無しに、オブジェの大砲の前で写真を撮る連中もいたが。こっちは単純。



 望は、結奈が側に居ることに気が付いた。
 何時の間に……。

 エレベーターを見て………それから、天守閣を見上げてなにか呟いている。

 望は公に目配せをすると、結奈の元へと走っていった。
 運動靴の小気味よい音が地面を叩く……スタッカートが。
「こらっ!」
「キヨカワ……?」
 二人は何やら話し合っているが、清川望が一方的に釘を刺しているようにも見える。

「あれで仲良いのかな、あの二人?」
 公にとって、紐緒さんは怖い人なので信じられない。


 生徒達は下の御茶屋に少しずつ流れていっている。
 俺もそろそろ行こうかな……腹減ったぞ、と。



「庶民。見物が終わったならそこをどきたまえ。僕の通行の邪魔だろう」

 もう、そっちを見るのも面倒である。
 見なくても分かるし。

「そんなの勝手だろう?」
「フン、駄目だ。庶民に自己主張できる権利は無い」
「おまいよう……どんどん態度でかくなるのな」

 レイは風に靡く髪を軽くかき上げた。
 天気が良いだけあって、いつも以上に透き通って見える。

 さらさら…。

 薄い黄金色が公に向かって靡く……。

「…………綺麗だな」
「?」
「いや、お前の髪がさ……」

「……、見え透いた世辞だな」
「本当に綺麗……なんていうか、幻想的だ」





「君の髪も、綺麗だが、な」

 わずかに、少女の頬が緩んだ。

 蒼い色彩をレイの網膜に残し、公は他のクラスメイトの側へと行ってしまった。
 日の光を受け、普段黒い公の髪は蒼く……。

「あなたもそう思う?」
 肩越しに聞こえた声にレイは驚いた。

「私ね、それと主人君のあの雰囲気が好きなんだ〜」

 たのしそうにしている少女が、ひとり。

「失礼ですが、初対面ですね?」
「わたし? 私は片桐彩子。貴方は伊集院君ね……Wao、あなたも綺麗な顔立ちをしているわ」
 肩に掛かった小さな鞄から、眼鏡を取り出す彩子。
「待って、動かないで」
 真剣な黒い瞳が、レイの全体像を視野に入れた。
 顎に手を当て。
 暫くそのまま。

 やがて、ひとつ頷くと

「オーケー、焼き付けたわ」
 彩子は満足そうににっこり笑った。
「何をですか?」
「ん、絵のモチーフ。こんなモデル滅多にいないしね……。さて、と」
 パタン、と音を立てて眼鏡ケースを閉じる彩子。
 元通り、鞄にしまうと、もう一度だけ古城を眺めた。

「またね」

 そう、つぶやくと踵を返して石で出来た坂を降りて行く。
 歩く先に望を見つけて、後から抱きついている…様子。


 こっちも、仲が良い。



5 bono!


「いい加減に機嫌直さない?」


 詩織の横を歩きながら、ごしょごしょと小声で呟く。


 有名な繁華街を行く二人。
 大阪の街を見物しようとした詩織の後を追ってやって来たのだが……。
 虹野沙希のことで怒っているのだ。
 なんとなく、公がその事に気が付いたのはじろじろ顎に貼られた絆創膏を見ているからである。

 彼女は依然、黙ったまま。
 手も繋いでくれないし。
 よく見ると、頬が少し膨れている。



 どをしようかなあ……詩織、昔から結構根に持つ性格だからなー。

「ん」

 あれは……。
 よし、あれで誤魔化そう。

 手も繋がずに歩いていた詩織を、いきなりぐいっと引っ張った。
 手を引かれて半ば強引に走り出す羽目になる。
「なっ、こ……」

 ちょっとした賑わいのたこ焼き屋さん。
「え〜と、十個入りをひとつ」
「十個入り、な」
 オーケーと、威勢の良い店員は手際よく、容器に突っ込んでゆく。
 ポンポンポン……。
 リズム良く、手首が動く動く……。

「兄ちゃん、熱いから気を付けてな?」
 公は、楊子を二本貰うと、詩織の前に差し出した。
 はい。

「ここ美味しいって、朝日奈さんが言ってたんだけど」


 詩織はそっぽを向いた。

 そのままの体勢で一分経過。
 さすがに公はカチンときた。

「詩織、ちょっと、しつこくないか?」

 じゃあいいよ、ばいばい。
 と、公は詩織に背中を向けた。
 周りにいた客や店員は痴話喧嘩に興味津々、くすくすと笑っているカップルもいる。


 ガーン


 と、その時の詩織の心の中を表すと、こういう音が鳴る。


 あ、あ…の…。

 ちょっと、困らせてやろうと思っただけなのに……。

 詩織は俯いて、自分の足下を見て落ち込んだ。

 公は詩織の顎を軽く掴むと、口元にたこ焼きを押しつけた。
 ぐい。

「ほ、ほうひゃん?」
「冷めちゃうぞ……もう」
 むぐむぐ。
 はふはふ、あつい。
 ごくん。
 噛まないと消化に悪いです。
 もう一個、口の中に入れる。

「な、美味しいだろう?」
 詩織は口をモグモグ。

 何回も、何回も頷いた。




 缶ジュースを持って詩織の元に戻る公。
 一本しか持っていない。

 わざとです。

 間接キスできるかも……。

 発想がふしだらです。


 車通りは多いが、やや人の少ない大通りに詩織を待たせていたのであるが、その詩織に強引に話しかけている男が視界に入った。
 こういうとき、無条件に殺意を覚えるのである。
 腹が立って、腹が立って……あいつは、俺の、であり他人が話しかけるなど許せん。

「冗談じゃないぞ」
 言いながら駆けだしている自分に気が付く。
 あの学生、黄色いバンダナなんか巻いている……珍しい。

 あれって絶滅危惧種のヤンキーかな。


 俺の姿を確認すると、絡んでいる男の手を振り払い抱きついてくる詩織。
 そして、俺の後に隠れる。
 一連の動作はとても早いのである。



「詩織になんか用か、お前」
「へー、詩織ちゃんて言うんか? 可愛いな、彼女」

 公は目の前のにーちゃんと対峙する。
 短くした髪をおったて、妙に日に焼けた男。
 学蘭を肩で纏い、……どっちかっていうと時代遅れのような。

「公……」
 公の陰から詩織が小さく声を漏らす。

 いざとなったら蹴り倒して逃げるつもりだが。
 バンダナは、ピクッと反応した。

「公……? 主人公か! なんだ、修学旅行か?」

「へ?」

「俺や俺!」
 間抜けな面もちで唖然としている公の前で、バンダナを取る。
 そして、そのバンダナを首に巻き直した。

「思い出したか?」
「う……お前は」

 いや、思い出してはいなかったりする。

「え〜と? 奈良橋」
「違う、四方木田や、よもぎだ!」

 よもぎだ。

 変な、語感。

 にしかなめ、と同じくらいヘンだ。


 ……あ。

 公はぽんっと手を叩く。

「あ〜、中学の時の! 淀三の!」
 満足そうに頷くバンダナ男。

「決勝で、ウチに負けた四方木田!? 俺と西だけで5点取った試合の!」
 思わずずっこける四方木田。
 面白い。

「そんなに詳しく説明せんでもええやん……」

 詩織がクスクス笑う。
 四方木田はそんな詩織を羨ましそうに見る。

「彼女可愛いなあ……ちょっと、この界隈じゃ見んくらいに。俺に譲ってくれへんか?」
「譲るか! 十年以上も想ってやっと実った恋だ」
「へえ、お前苦労してんな……」
 ちょっと、意外そうな顔をする。


「あ、……そろそろ行こうよ……、時間が」

 詩織が、くいくいっ、と袖を引っ張る。
 腕時計を見ると、確かに。
 残念ながら、旧交を暖める暇がない。

 交友なんてなかったけども。



「っ、……というわけだ、四方木田、またな……次があれば」
「お前、あの試合で腰をやってもうたが、もうサッカーはやらんのか?」
「部活は入っていないよ」
 口を濁す、公。
「お前と接触した奴、気にしていてなあ……良かったら会ってと思ったが、無理か」
「気にしてないって、そう言って」


 どさくさに紛れて、詩織の手を握るとじゃあな、と公は言った。

「日本代表の10番も腰痛持ってん」
「まあ………、まあ、いずれ」
「何?」
「どっかのグラウンドで会うことも……」

 あるのか? な?

「そうか……。西に次に会ったときはメタメタに負かしたる言うといてな!」





「面白い、人ね」
「どうも俺の周りには変人が集まる……? 西といい、伊集院といい」

 走りながら、公は詩織に聞いた。

「たこ焼き、美味かった?」
「うん…………あのね、公」

「?」

「ごめんね?」

 詩織は公の顎に貼り付いている絆創膏を剥がすと、自分のを貼り直す。
 案外、抜け目がない。
 公は詩織の頭を優しく撫で、詩織は気持ちよさそうな顔をするのである。




「おっ、公じゃないか。親友!」

 繁華街を逆行して歩いていると、好雄が声を掛けてきた。
 何やら食べながら歩いている。
 公と詩織はその持っているものをじい〜っと見る。

「ん、食うか? 大だこのたこ焼き。美味いぞぉ〜?」




6 夜は更けるよどこまでも


 なんてったって、老舗の旅館です。
 古いから楽勝だろうと楽観視していた男子達。

 甘かった。

「うぎゃぎゃぎゃ!」
「痛たたたたたたたっっ!! いてっ!」
 悲痛な叫び声が聞こえてくる。

 頑張れよ、とクラスメイトを見送った公と好雄は思わず耳を塞いだ。


「やはり行かなくて正解だったな?」
「よりによってF組を覗こうとするとは……」

 互いに目線を交わし、くわばらくわばら。
 赤い絨毯の敷き詰められた廊下で、耳を澄ませていたのだが、どうやら公の予言は当たったようだ。
 好雄も納得してくれた。
 向こうから、浴衣姿の女子がやって来た……おそるおそる、声を掛ける。

「紐緒さん。何を仕掛けたの……?」
「さあ……知らないわ」
「あのー、あの悲鳴は尋常じゃないと思います」
 好雄の発言にひとつ、頷くと結奈は、

「何か言いたそうね?」

「いや、……さ、夕食も近いから食堂に行こうか」
 それ以上は何も言わずにこそこそと逃げ出す公と好雄である。
 怖い、怖い……。
 のである。


 理事長代理である伊集院の長ったらしい演説が終わり、生徒達はやっとこさ食事を許された。
 メニューはすき焼き。

 おおっ、豪華!

「すげ〜、学校の旅行ですき焼きが食べられるとは思わなかった!」
 目を輝かせている男子生徒。日頃は何を食べているのであろうか。


 公の隣りの鍋をつついている美樹原愛の素朴な疑問。

「主人さん、あのぅ、何で怪我をしている方が多いのでしょうか?」
「さあ……? 階段から落ちたんじゃないのかな?」
 愛の疑問はもっともで、見ると包帯やら絆創膏を巻いている男子が多い。

 公はそれどころではない。
 白菜の大群を持ち上げ、隠れていた肉を発見した。
 ちっ、二階堂か、肉を隠したのは。

 遠慮なく食べさせて貰う。
 ひょいぱく。
 ひょいぱく。

 しかし、横から伸びた鷹木の手によって、公が確保していた肉がさらわれる。
 すかさず、公は鷹木の領土にある牛を奪取。
 そこへ京都の出身である二階堂が、とっておきの技を繰り出した。
 緊迫感が漂う空間となりつつあった。

「好雄君。あそこ、なんか変じゃない?」
 お茶を注ぎながら、詩織は公達のいる周辺を指摘した。
「いや、ちっとも」
 そう言いながら、好雄は手持ちの皿に山盛りに鍋の中身を入れていく。
 肉、肉、ネギ、白菜、白滝、豆腐に肉、肉……。
 それを詩織に差し出した。

「あっ、ありがとう……」
「へへ……、どういたしまして。詩織ちゃんの為ならなんなりとってね……」
 俺の株、これでアップ間違いなし!

 好雄。

 ぎゅうっぅぅぅ。
 早乙女好雄の不幸は、背中合わせにC組の朝日奈夕子が座っているのを失念したことにある。
 声にも出せず。我慢するしか無かった……。


 就寝の前に班長会。
 鬼のよおにつまらない。と、公は思った。
 ただ、帰りに詩織と二人きりになれる時間があったので良しとする。
 こっそりと、下の階に降りようと誘う公。
 詩織は素直に従った。
 ていうか公の袖を握って離さない状態なのである。

 誰もいないロビーで腰を落ち着ける二人。

 十時を過ぎた旅館は静まり返っていた。
 どうせ、部屋の中は戦争状態なのだ。

 極端だが……あまり変わらないかも。

「はぁ……落ち着かないね」
 詩織がため息を吐く。

「ん、そうだな。まあ、旅行中だから」
「私、公の部屋の方がいい」
 慌てて、公は詩織の口を塞いだ。

 シーッ。
 ……右を見て。
 ……左を見る。

 オッケイ。

「詩織、もうちょっと静かに話そうね」
「うん…………?」
 詩織は落ち着かないのか足をぶらぶらさせる。
 その際に浴衣の裾から健康そうな足が覗き、これまた公は慌てて止めさせる。

「ゆ、浴衣でそういうことしちゃ駄目っ! ……俺がいない時は特に駄目だからね!」
「なんで?」
「俺が嫌なのっ」
 何がなんだか分からない、という表情だ。
「……? …………公が嫌なら、やらない」
 本当に分かってんのかな。

 どうも、不安な公。


「なあ」

「え?」

 詩織は、腰を上げると公の方に向き直った。

「見学の後に、自由時間があるだろ?」
「うん」

「……どっか行かないか?」



 さてさて、夜は更けます伏見の宿にて……。
 ここから先は。

 明日に持ち越し。


 おやすみなさい……。






 でもね、寝れないんだ。


 この後が「盛り上がる」時間だったりする。

 生徒達にとっては。



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