第九話シオリハシレバヌシビトドウスル?


詩織ちゃん! 第九話「シオリハシレバ ヌシビトドウスル?」



1 早乙女登場!


「さて、わたしは誰でしょう?」


 校門を背にしてポニーテールの女の子はにこにこ。
 にこにこ。
 にこにこ……。

 笑顔が似合う。

 はて?


 どこかで聞いた声のようにも思える。

 どこか…どこだろう、最近物忘れが激しいな。




 いつもの通り、公は帰るのが遅い。
 先程までは伊集院と一緒に会話していたのだが、妹の入学祝いがなんとかって先に帰ってしまった……まったく、友達甲斐のない奴だ。

 いもうと……ハテナ、妹ね?


 目の前の少女を見ていて思う。

 新入生の制服は糊が利いていてパリッとしている。
 いやいや、そうじゃなくて。

 なんとなく、そんな関係のないよしなし事を考えてしまう公であった……。


 ポニーテールの女の子はぺこりと御辞儀をした。

「先輩、こんにちわ」
 つられて
「こんにちわ」
 お互いに会釈をしているが、公はなんのことやら分かっていないのである。
 まるでお見合いのようだ。

「主人先輩、ですよね」
「そうだけど」
「えへっへっ」
 少女は嬉しそうに笑った。


 なんか変だ。

 調子が狂う。

 最近、こんなことは無かったんだけどなあ。
 ………。
 前は、なんだっけ。


 その不思議空間を打開したのは、自称親友の好雄であった。

「こら! 何をやっているんだ!」
 好雄は女の子に歩み寄ると、片手を掴んだ。
「俺があれほど迷惑を掛けるなと……」
 新入生の少女はしれっとした態度で。
「お話していただけだよ〜。ね、主人先輩!」

「…………知り合い?」

 好雄は少女の髪をぐりぐりと撫でつけた。
「俺の妹の優美だ。……すまん、こいつうるさいんだ」
 いもうと。
 道理で聞いたことがある声だと思った……電話口の声だったか。

「もうっ。お兄ちゃんうるさい!」
 好雄のうるさい手を払いのけると、少女は元気に手を振った。

「早乙女優美です。今日から宜しくお願いします!」
「う、うん……こちらこそ宜しく……あっ、俺、急ぐから……また、今度ね!」

 こんなことをしている場合じゃなかった。
 公は急いで校門を出る。

 そして猛ダッシュだ。









 走って、走って、走って、走って……。




 少女は門に手を掛けたまま、走ってきた少年に気が付いた。
 詩織は頬をほわぁっと赤く染めた。

 既に藤崎家の家の前である。

「詩織」
 公は、息をきらして…………あれ?
 私の、目の前……。
 苦しそうな表情は公の顔からは窺えない。

「ふーん、……公、体力付いてきた?」
「そ、そうか……な」

 少女は、素直に頷く。

 毎日走っているからかしら?
 ……私も一緒に走りたいけど、邪魔かな?

 最近、公はたくましくなってきた。

 たまに、クラスの女子が幼なじみの事を話題に挙げるのが耳に付く。
 知らないうちに人気が出てきているらしい。
 レア人気というやつだ。

 でも私。

 理屈じゃなくて。
 ………、

 そういうの見るのも聞くのも嫌かも。


 詩織は近くに寄って、公の表情をゆっくりと見た。

 右から、左から。
 立ち止まって、う〜んと考え込む。

「ん? どうした」
「私のこと……好き、だよね?」
「おまえ、日中から恥ずかしいことを平気で聞くね……」

 顔を赤らめながらも、公は頷く。

「そっか」

 公の彼女は私、なのである。
 公のお嫁さんも私なのだ。

 そう考えたら詩織は気分が晴れた。
 すっごい単純……。

「詩織」

 ゆっくりとしたお日様の光をあびて、門を開けようとしていた女の子は振り返った。
 公はその何を考えているのか分からない後ろ姿に、どうやら不安になったみたいだ。
 だって、詩織が変なこと聞くんだもん。

「小さいときからだぞ」


 詩織は嬉しそうに、笑った。


「うん、知ってるよ。……ずっと前からね」





 早乙女優美は台所でココアを煮出しながら、先程の公の背中を思い浮かべていた。
 ミルクを入れて出来上がり。
 テーブルに座って雑誌を読んでいる好雄にも一杯注いであげることにした。
 ティーカップ…好雄のは萩焼の湯飲み……を二つ食器棚から出すと、鍋を傾ける。

 こぽこぽこぽ……。

 優美は公について語った。
「思っていたよりずっと格好よかったなあ……」
「どこらへんが」
「全体的に……。お兄ちゃんの百倍くらい」

 落ち着いて、鍋を傾けている妹。

 イイ度胸だ。

 顎に手の平をあてたまま、好雄の眉が動く。
 このあと第……え〜と数え切れないくらい……回目兄弟戦争が勃発するのであった。
 でも、そんなことはお天道様まで含めてどうでも良いことである。





2 新学期。


 新しい机は、実際に気分がいいものだ。

 ただし、前に使っていた先輩がお絵かきをしていたらアウト。
 あるいは、シャープペンシルの先で削ってあるとか。
 年度の初めからな〜んか、嫌な気分になる。逆になんとなく愛着が沸くかも知れないが……ま、滅多にいないでしょう。


 愛の伝道師こと、早乙女好雄は新しいクラスメイト達について例の手帳に書き込む書き込む………主に女子です。
 変な目で見られていたりするが、もとA組だった子達はまったくもって気にしていない。
 慣れとは恐ろしいものだということが分かる。

 筆の先を舐め、好雄は満足そうに呟いた。
「ううむ、新年度になってますます絶好調な俺だな」
 しかし、誰か止める人間はいないものか。
 …………。

 いないのだろうなあ……。


「相変わらず下らないことを……これだから庶民は」
 呆れた果てた視線で、レイは怪奇ナンパ男を視界に捉えた。
 かつんかつん、と机の上で指を遊ばせていたレイ。

 ちらり、と目線を下に向ける。

 そのレイの机に顎を乗せ、目を閉じて寝ているのが主人公だ……本当は寝ていないけど。
 幸か不幸か、クラス替えの際にレイは公のすぐ後の席になることが……出来ました。
 純情なお嬢様的には最大の幸運。

 早乙女については、寝たまま公がぽつりと……。

「それでこそ好雄。年中春なのだ……」

「確かに、楽しそうだな」

「奴の頭の中は薔薇色だ……」

 こっそりと、恋慕を抱く男の子……公の表情を楽しむレイ。
 寝顔、かわいい。
 実はすぐ近くで藤崎詩織も見ているのだが、当の本人はどちらの視線にも気が付いていない。

 公が公たる由縁のひとつにニブイというのがあるのだが。
 まさに、それ。


 レイは教室前方から忍び寄ってくる女の子に気が付いた。

 …………?

 誰かしら、この子。
 詩織も、同じように誰かしらと思った。


「先輩!」

 ドカンと一発耳元で叫ばれた公はたまらなかった。
 飛び起きた。

 耳がキーンと鳴る。

「先輩、こんにちわ」

 トレードマークのポニーテール。今日も元気な早乙女優美である。

「お兄ちゃんにお弁当を届けに来たんです」
 悪びれた様子もなく、優美は布に包まれた四角いおべんとばこを手の上に載せる。
「好雄に?」
 好雄……また忘れたのか。
 そのたびに飯代を貸している公は、呟く。
 そういや、先週貸したカツサンドの代金を回収していない。

「そうだ……、主人先輩。お昼一緒に食べませんか?」

「えぇ? 俺と」


 あ、あの娘、なんて大胆なことを言うのかしら。
 唇をきゅっと結んだレイと……詩織。

「こらぁ! 用が済んだらとっとと帰れ!」
 駆け寄ってきた好雄が……まるで小動物でも追い払おうとするかのように。
 妹なんかにクラスに来られると恥ずかしいんだ。
 幸いにも教室内は騒がしく、優美を気にしている生徒はほとんどいない。

「なによ〜、偉そうに。お兄ちゃんには関係ないでしょっ」
「へへん、残念だったな〜。公のお昼は俺と一緒! 一年前から決まっているんだよ」
 思いっきり、優美はむくれた。
 言いたいことはかなりある表情なのだ、でも飲み込んだ。

「………………じゃ、先輩また会いましょうね!」
「あー、帰れ帰れ」
 しっしっと好雄は犬を追い払うような仕草をする。


 好雄は本当に迷惑そうだ。
 何故なら…………詩織ちゃんの視線が痛いような気がするからだ。
 なんか、悲しそうな、怒っているような顔。

 優美の奴……、今後とも嫌な予感がするぞ。
 こりゃ帰ってから優美に釘を刺しておかないとイカンな。
 公の奴には美人の彼女がいるって。
 そうだ、俺は公の親友だからな。

 ……うわはははっ、頼りにになるなあ、俺!!

 優美が好雄の言うことなんか、素直に聞いたことはほとんど無いのだが……、そこのところを兄は気が付いていない。




「早乙女さん、妹さんと、仲が宜しいのですね〜」
 古式ゆかりがのんびりした声で語る。
 一連の騒ぎは、彼女の頭上で展開されていたやりとりであったりする。

「そうか〜? 俺は悪いと思っているんだけどな……」
 好雄は机の上に乗ってあぐらをかき、片足を手で掴み、憮然とした。

 そうかしら? と詩織が口を挟む。
「わざわざお弁当と届けてくれる妹さんなんて……お兄さん思いの良い子じゃない。ちょっと口が悪いけど……照れ隠しよ。きっと、ね」
 レイも同意する。

「ふん、騒がしいことだが…………僕もそう思うな」
 二人とも言葉の裏にも様々な主張が隠れている。

 でも、言わない。


「ほら、仲が、宜しいのですよ〜」
「う〜む」
 柔和な表情を湛え、にこにことゆかりは頷く。
 ゆかりのウルトラスロウぺースにはいつもながら、引き込まれてしまいそうになる。
 これで夕子と仲が良いのだから不思議である……。

 詩織とレイは、ちらりと公を見る。
 好雄も公を見た。
 つられてゆっくりと古式ゆかりもそちらを向いた。

「あら……、お疲れなんですね〜。主人さん」


 見ると公は静かに寝息を立てて寝ていた。

 詩織はくすくす笑った。























 コンニチワ。


 こうのはじめてのことばはそれだった……けど。


 すごくげんきなおとこのこで。
 わたし、すぐにだいすき……になったんだけど。




 このまえ、くりすますにけんか、しちゃった。

 だって、こうはほかのことあそんでばっかり……。


 ………。

 そっちが、わるいんだからね。


 ………こう、おこっているかな。

 わたし、へんなこといっちゃった。



 ……ぐす…。



 こう、おこっているのかなあ……。



 ……だいすき、なのに……。



 ぐす………。







 鳥の囀りを聴いて、詩織は起きた。



 しばらくはぼ〜っと、する。


「…………」

 その夢は、淡く柔らかく。
 とろとろと。

 ねっむ……い……。

 少女はゆっくりと目を覚ましたのだった。

 ベッドの上から、窓の外を眺めてみる。
 公はまだ寝ている様子……。
 カーテンが下がっていて、部屋の中の様子は窺えなかった。

 残念。

 下の階に降りると、母はハムトーストを作っている最中である。

「お母さん、おはよう……」
「あら、詩織、おはよう……まだ眠そうね」
「起きてるよ?」

 冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを取り出す。
 紅茶を飲みたいのでお湯を沸かすらしい。
 スクランブルエッグをかき混ぜつつ、母は首を傾けて詩織の手元に注目した。
「あ、詩織。紅茶は水道の水を使わないと不味くなるわ」
 なるほど……。

 詩織はやかんに水を入れてコンロの五徳に乗せた。

「公君が伊集院君の家で貰ってきたんだって? 美味しいわよねえ、そのお茶」
 ………。

「詩織?」
 ………………………。


 静かになったのを不思議に思って振り返った。

 寝息が聞こえる。
 詩織はやかんを火に掛けるとテーブルに突っ伏して寝てしまったようだ。

 毎日、遅くまで勉強しているものねえ。
 親も驚くほどの努力家の娘である。一流大学出の夫に似たことは間違いないわ。
 火を止めると、詩織の背後に近付く。
 そうして、桜色のカーディガンを詩織の肩に掛けた。
 よく見ると。

 詩織の頬に一筋の跡がある。
 母は息を漏らし、それからちょっと苦笑いした。

「若いわねえ……。頑張れ、娘」

 さて、朝ご飯の支度と行きますか!






3 久しぶりです。


 青空高く、みんなあつまれ……。いや。

 ボールが弧を描く。
 きらめき高校サッカー部の練習は新入生を交えて、ますます活発になって行く。
 ベンチの前には声を張り上げるジャージ姿の女の子の姿……。

 グラウンドの先にいるのは沙希。
 つまらない……笑えない冗談だったので、望には流された。

 それじゃ早乙女みたいだぞ。



 へっくし。

 公はきらめく空を見上げ、眩しさで大きなくしゃみが出た。
 木陰の下は、やや寒い感じがするのだが……寄りかかっている望は特に何も言わないのでさっきからここにいる。

 悪かったよ、つまらない洒落で。


「そろそろ限界かなぁ」
 公が小声で言った言葉に、望はセーラー服の袖を直す……一呼吸、遅れて返事をした。
「何が」
「ボールに触りたいな〜、なんて」
「そうか」

 特に驚かなかった……。
 望はちょっと、手を伸ばして公の頭を撫でると、

「偉い偉い。入部するのか」
 頬を崩して、まるで自分のことのように喜んだ。
 いずれそう言うとは思っていた。
 だから、あたしは驚かない。

 木立の照り返しが、太陽のあたたかさを物語っているのである。




「違うよ?」
 公は望の言葉を否定した。



「は?」




「俺、入部はしない」

 ボールがネットを揺らす。

 あ、誰かゴールを決めた。

 角刈り……なんて、今時珍しいなあ、三年生かな?
 望は今ひとつ得心がいかない。


「サッカー、やるんだろ? 入部、しないのか?」
「うん。入部はしない」

 あ、そう……。

 それきり、望は無口になってしまった。
 ……。
 …………。
 やがて、ぽつりと望は呟いた。
 そっか、やるだけか。

「ふーん、それだったらカンタンだな」
「うんうん、相手さえいれば」
 ボールがあればいいわけだから、簡単。
 でも、相手が問題だ。

 う〜ん。
 望と公は腕組みをして考えた。




「主人くーん!」

 駆け寄ってくるジャージ姿の女の子は。

 先程、しょーもない駄洒落に使われたとは当然知らない。
 そんなにハリキッテ走ってこなくてもいいのに。

「久しぶり!」

 嬉しそうだ。


「あたしには?」

「……望ちゃんも!」
 慌てて継ぎ足す、

 ここらへん、奇妙な社交辞令があるらしいな……。
 公は勝手に納得した。


「あのね、主人君。日曜日に県立A高校と練習試合があるの。良かったら観に来れないかしら……?」
「A高校だって?」
 望と公の声がハモった。

 隣の県にある超名門高校……二大会連続冬季全国高校サッカー選手権の覇者だ。
 その超ド級の名門校がど〜して、こんな遠くまで。
「うん、うちの高校に前にA高校の教諭をやっていた先生がいて、セッティングしてくれたみたい」
 コネ、と、いうやつらしい。

「まあ、暇だったら…………………」
「じゃあ待ってる。絶対に来てね。良い試合にしてみせるから! …………望ちゃんも」
 取って付けた沙希の言葉に望は苦笑した。

 沙希はまた走って戻って行った。
 元気だなあ。



「清川さんは、行く?」
「主人が行くのなら……行ってもいいケド」
 どうするかな〜。


 公は、ポケットに手を入れ、空を仰いだ。
 早春を過ぎた青空は、天高く抜けるように青かった。





4 春は過ぎてく、うららかに。


 まだ学校が始まってから間がないし。

 風が少々肌寒く感じられることがあっても、また気持ちよかったりするが。


 伊集院邸の大理石で出来たテーブルに腰を落ち着けくつろいでいる公にレイは言った。

「君もいい加減、毎週来るのは止めたらどうだ」

「いつでも来いって言ったのはお前だろう」
「うっ、確かにそうだが……」

 レイは咳をしながら髪を軽く払うと、眠そうにしている公の向かいに座った。

 嘘、です。

 むしろ卒倒しそうな位嬉しいこと。
 多分、これは彼なりの友情のあらわれなのよね。
 よくよく考えてみたら、私、友達がほとんどいないから。

 人を寄せ付けないように振るまっているのは確かに自分の責任なのだけれど……こんな時は家の「決まり」が嫌になる。
 でも、そんないやみったらしい男の自分にも普通に接してくれる主人君。

 だから……ごにょ。
 す……好きになったのだけれども、

 分かっているかしら?

 週に一度は、放課後にレイの邸宅に寄り、お茶を飲んでは帰って行く。
 その公の後ろ姿をじいっと見るのが大好き。


「妹さんの入学祝いは無事に終わったのか?」
「ウム、まあ本来なら僕には関係のないことだが、祝いのパーティーに出席することは義務になっていたからしょうがない……ま、くだらないことであるがね」
 ひびきの市の学校に通いだしたんだっけか。
 公は電車を使わなければ行けない地名を思い出した。



「例えば…………、例えば、僕が貧乏人で容姿が悪かったら、君はこんなに話しかけてきたりしないだろう?」
 本当は言いたくない。ケド、ずう〜っと気になっている言葉がついつい出てしまった。
 いきなり、文脈関係無しの変な発言。
 公は一瞬、考えた。


「…………実際にお前は金持ちで二枚目だからなぁ。それ以外の伊集院なんて想像もつかないや……」
「そう、か」
 レイは少し拍子抜けしたが、ホッとした。

 公は特別製だとか言って出されたショコラを口に頬張りながら、明日の試合のことを思い浮かべる。
 ……あ、このチョコ美味い。

「でもさ、俺がお前と話すの好きなのは単純に楽しいからだな……。どうあっても、俺はお前と友達になったかもしれん」

「そ……そうだな。コホン、つまらなかったら庶民など相手にしないな!」

「口は減らないな……ま、伊集院らしくていいけどさ」


 レイは思う。

 ずるい、なー。

 好きになるなっていう方が無理。
 だって、だって。

「伊集院?」
 たまに、惚ける時がある。

 最近の伊集院は。
 一年の最初に会ったときとは微妙に印象が変わってきている。
 他の奴らには分からないだろうけど……。
 変なヤツだよ、まったく……。


「レイ様、そろそろ食事の準備が整いますが」
 料理長、黒沢がレイを呼びに来た。
「そうか、ご苦労。そういうわけだ、庶民はそろそろ帰ってくれ」
「ん? ああ、もうそんな時間か」
 帰りは送らせ……え〜っと、外井の他の運転手にしないと駄目ね。

 最近、来てくれるのは嬉しいのだけれども、唯一、それが怖いの。





5 友達とはかくあるべきものか。


 日曜日。

 スタンドの中程の席に公と望の姿を見ることが出来た。
 その横には何故か要の姿があるが。

 俺、呼んでいないのだが……どこで情報を仕入れたのだろうか?


「公、ホットドッグが美味そうだぞ。買ってこようか?」
 すでに焼きそばとポップコーンを抱えて、要は更に売店のメニューを見た。

 望が疑問を口に出す。
「この試合、分があるのかねぇ?」
 要は両手一杯に食べ物を抱えながら否定した。
 ポップコーンを口一杯に頬張りながら。
「もぐ……無理だな。東だってあそこに勝ったこと無いし、きらめき程度じゃ何もできずに終わるだろ」


 珍しく真面目に応えた要の予想は見事ぉ〜、に的中した。
 前半15分にして先制点を奪われ、立て続けにその2分後追加点を決められる。
 その後は……。

 中盤を抜け出したきらめきのキャプテンらしい選手がなんとか、ラストパスを前線に送り出すのだが、オフサイドトラップに引っ掛かること五回。よしんば、抜けたとしてもラインを統率している11番に弾かれる、と。
 仕方なしに単純なロングボール一辺倒……。
 望がぽつりと漏らす。
 駄目だね、あれじゃ……。
 素人の私でも分かるわ。

「攻め込む形はなんとかたまに作れているんだが、くせ者はあの最終ラインだな。昔のミランみたいな動きしてる……。あの11番はバレージの縮小再生産版みたいだな」
 崩すのは大仕事だな。
 ポテトチップスを頬張りながら、要はそう続けた。
「ライン統率が上手い奴は他の高校にもたくさんいるけど、身体能力が高そうなのがやっかい……ま、このまま負けるだろ」
 他人事のように言う。

 きらめきが4点目を奪われた段階で、スタンドから応援する生徒の数が減ってきた。
 望が軽く辺りを見渡すと生徒の数がまばらになっているのが分かる……。

 公が初めて口を開いた。

「あんなディフェンスを、なんで抜けないんだろう?」

 無表情で、いや、あっけにとられた表情で、
 望と要は公を振り返る。
 そして、まじまじと公の顔を見つめた。

 その二人の視線に公は首を傾げる。

「……なんだか、お前だと崩せそうな気がするな」

「なんとなくね」

「そうか? ……でも一人じゃ辛そうだな」

「そうそう、俺がいないとねっ!!」

 要、すごく嬉しそう。
 公と俺が組めば無敵である。




 帰り道。

 三人が歩く遊歩道を、木陰が覆っている。
 アスファルトに射し込む影のもとを……。

 公は要の服を掴んだ。

「なに」

「サッカーのさ………………相手になってくれないか?」

 要は目線だけ動かす。

「今日のこと、気にしていたり?」
「それとは違う。ただ、やりたいだけ、足が暇だ」
「なるほど? そっか……そうか」
 要はうんうんと頷いた。

「俺も練習で忙しいけど、さっ。まあ、暇だから! ……そう、俺、暇っ!」


 要の大げさな演技を横目で見ながら、望は頭の後で腕を組みながら歩く。

 矛盾した物言い……。
 内心、公と堂々と接触する機会が出来て嬉しい、のだろうな。
 などと気楽に考えつつ。
 ただ、要の次の言葉は予想していなかった。

「どうかな、最近、女子サッカーも流行っていることだしさ」

 これは、アタシに向けて、言ったのだね。

 結構、慌てる。
「駄目、私も練習で忙しい」
 平静を装ってはみたものの。

「公、じゃあ三人で」
「こらぁ! あたしは素人だぞ!!」

 あたしは女の子だぞ〜!





6 分かんないの。


 ぬしびと歩けば、しおりも歩く。

 ……と、いうことで。
 放課後、たまたま教室に残った二人は久しぶりに一緒に帰る。
 何故か裏門から帰りたがる公。
 細心の注意を払わなければならない。
 それを、詩織は不思議がるのだ。



「桜の花が綺麗……」

「そろそろ満開だなぁ」
 公園の真ん中に一本立つ桜は薄桃色の彩りを生命力溢れんばかりに誇っている。

「しかし、優美ちゃんて子も兄離れしていないんだな〜。あんなに、毎日好雄に会いにこなくてもいいのにね」
 詩織はその言葉に反応したが、黙っていた。

「……なに?」
「公、嬉しそう」
「そうかな? サッカー出来るようになったからかも。今はただ、パスを廻しているだけなんだけれど。清川さんなんか意外にも結構上手いんだ、これが」
 パス交換しているだけなんだけどねえ。
 あの人、スポーツ万能だなぁ、コツを掴むのが上手いというか才能というか。
 女子代表への道を目指しても良さそうな感じ。


「詩織こそ嬉しそうだけどね? 何かあった?」
「そうかな?」
 そう言いつつも詩織の顔を見れば、それが分かる。
 それは簡単。

 簡単。

 身近な男の子が嬉しそうにしていれば、嬉しいのです。

「でも、あんまりサッカーばっかりやっていると詩織とデートもできないな……」
「いいのに」
「駄目、べたべたしたい」
「べたべた?」

 あ。

 ……。

「詩織?」

 俯いている詩織の様子に気が付き、公は声を掛ける。
 手は握ったまま。

 どうしたのかな。

「……、公」
「なに」
「………あの、ねっ。さ、最近、ヘンなの」

「な、何が」

「ナンカ、変なの、私」
 ゆっくりと顔を上げる詩織。

「変な夢ばっかり見るし、でも、ぜ、全然。止まらなくてっ! あ、あのねっ………」
「なっ、なんだ」
「…………良く分かんない。公ちゃん、分かる?」
「分からん」
 顔をよ〜く見る。詩織はいたって真面目ぽい。

 うーむ、俺も昔の夢でうなされるから、なんとなくニュアンスだけは想像付く。

 詩織、困ってるならもっと早く相談すればいいのに……。

「公ちゃん。最近忙しそうだったから……」
 また、心を読まれた気がします。


「何か、不都合でもあるのか、その夢は」

「ううん……寝起きが悪いくらいで……あ、でも、時々胸が痛くなって」
 指を一本ずつ折り曲げ、数える詩織。
 それは困ったなあ……。

 親馬鹿に代わる言葉があるとすれば恋人バカであろうか?


 これはこれで問題があるような気がする。






7 男心の妙……の巻。


 汗を流しつつ、要はスポーツドリンクを喉に流し込んだ。
 なるほど。結構、キツイな。
 部活との掛け持ちは……、睡眠時間が削られるからだろうな。

 そう思うのなら、公との練習を止めれば良いのに……ちっとも考えない要であった。

 汗をさらう風が気持ち良いね。

「西、ちょっといいかな?」
「あれ………真琴か。どうした素人」

 要と違って、ある程度髪の毛を伸ばした……だが、何故かすがすがしい印象を受ける真琴が、要に話しかけてきた。

「名前で呼ぶな、何か嫌だ。俺の名字は早田だぞ」
「いいとこのボンボンが庶民に生意気な口をきくな」
 この資産家の三代目。育ちの良さが身に出ていることは疑いようのない事実である。
 だからと言って態度を変えるような真似を要が出来るはずもないのだが。
 まったく気にしていない、というのが本音。
 公がレイに接するのと似たようなもので、やはり公と似ているところがある。


「ん、相談事? ……何だ、好きな子でもできたのか?」
「えっ、何で知っているんだ?」

 要は鼻で軽く、笑った。
「何だ、図星か。つまらん…………俺に恋の橋渡しでもして欲しいのかな」
 そんなことは自分で処理しろ、子供じゃあるまいし。
 空になったドリンクボトルを置くと、再度グラウンドに向かおうとする。

「いや、そうじゃなくて、少し付き合って欲しいんだけどさ」
 ……とりあえず、立ち止まって話を聞いてみた。
 いつも宿題を写させて貰っている恩もあるので無下には出来ない。

「……、で、今その子がいる場所知っているのか? それとも学校まで行くつもりか?」
「前に立ち聞きして日曜日に出かけることを聞いたんだ。帰り道に告白しようかと思う」
「お前、それじゃストーカーと変わらないぞ……」

 その子の名前を聞いて、要は目が点になった。

 なるほど、ねぇ………。


 下手に暴走されても困るし……管理しとくことにした。
 突然、腹痛に襲われたので西要、早退しまっす。




 きらめき中央公園。
 いつも通りにマラソンを終えた公は、一人でず〜っとボールを蹴っていた。

 誰が相手かというと……?

 壁さんが相手である。
 もう何時間も。
 壁の一点は、摩擦によりすっかり黒ずんでしまっている。この跡は一朝一夕のものではない。もう、中学の頃から何年もこの壁と一緒に付き合ってきている。
 相対したのは久しぶり。

 その公が跳ね返ってきた球を、一旦止めた。
 後ろを振り向く。

「楽しい?」



「う〜ん、まあまあね」
 彩子はスケッチブックを左手で抱え、ベンチの上で筆を走らせている手を止めた。
 わずかに口元を緩ませた。

「でもさ、俺なんか描いてもつまらないよ」
「被写体が良いからかしら、何か生きているって感じがするわ?」
 そうかな、と公は呟く。
「ねーえ、この絵、選考会に応募して良い?」
「駄目。恥ずかしい」
「ウ…ン、regret。いい絵になりそうなのに」
 彩子は片目を瞑って、筆を伸ばした。

 ホラ、いい絵だわ。

 惜しいわね。
 彩子は再度繰り返した。

「ところで、主人君」

「何さ」

「あそこで何か面白そうなことやっているわよ。行かなくていいの?」


 彩子は先ほどから公園の入り口をちらちらと見ていたのであるが……。



8 ハプニング


 藤崎詩織は、美樹原愛と一緒に服を買いに行ってきた。

 前から欲しかったものが買えたし、今日は満足ね。
 帰り道のきらめき中央公園。


「藤崎さんっ」

「………?」

「俺と付き合って下さいぃぃぃ!!」

 知らないヒトに、花束を思い切り突き出された。
 東高校のさっきのヤツ。

 陰から真琴に舌打ちをした西要。

「あの馬鹿、世間知らずにも程がある、それじゃ嫌われるに決まっているだろうが……。ううっ、殴ってでも止めるべきか。公に怒られるのは嫌だし……、しかし恋愛は本人の自由……う〜む! じゃあ、蹴るか……?」
 やや、的はずれに悩んでいる。


 詩織は、ごしょごしょと愛の耳元で囁く。

「メグ、これって、ひょっとしてナンパなのかしら…」
「ち、違うと思うよ、詩織ちゃん……」
 普通、ナンパで付き合ってという言葉は使わないと思うの。
 愛は詩織に耳打ちした。


 真琴は一歩前に出た。

 詩織は一歩下がる。


「あの……私、好きな人がいますから………」

 下がりながら思い出した。

 公とデートしたときに声を掛けてきた男の人だ。
 この顔、覚えている。
 それでも真琴は止まらない。

「知ってます! でも、俺の方が良い男だし!」



 詩織にとっては、公以外の男の子は端から端まで全員、粘土細工なのでどうでも良いのである。

 このひと、しつこい……。
 後には公園の柵があり、もう下がれなかった。

「友達からで良いのです! 是非、俺と」

 仕方なく愛の後ろにざざざっと隠れる詩織。
 前に押し出されたので、嫌な汗を流す愛。



 公が駆けつけたのは、ちょうどそのタイミングだったのである。

「悪いけど、この娘。俺のだから……」
「あれ、主人さん?」

 詩織を懐に収める公。
 彩子に感謝。

「あ、公ちゃん」

 突然、いや素晴らしく良い感じで現れた公に、真琴は一瞬ひるんだ。
「う、……。俺は藤崎さんと話しているんだ」

「詩織、怖がっているし……駄目」

 しがみつく手がわずかに震えているのだ。
 詩織、免疫がないからな、こういう強引なことには。



 またまた遠目に要は何度も頷いた。

 ナイスタイミングな上に格好イイ。
 それでこそ公だ!

 チョーカッコイイ!!


「西さん、どうしてこんなところにいるんですか?」


 美樹原愛が近くにいた。
 だって、十メートルも離れていないんですもの。

 要は一瞬、固まった。


「み、みきはらちゃん。……中学以来だね……何か用?」
 そして、付け加える。

「しーっ、なるべく静かに話してね」
 要の態度に不思議な愛。
 俺がここにいることがバレたら不味い。
 内密に済ませないと。

「詩織ちゃんを助けてもらおうと思ったんですが、主人君が来てくれたみたいで」
「ははあ。なるほど。公がいる。じゃあ、俺は要らないね」
「えっ? あの……」
「それは良かった、じゃ、俺はこれで」

 タチの悪い芝居を見ているようだ。

 文字通り、飛ぶように要は逃げていった。


 ぼ〜っとして、それを見送る愛。

「どうしたのかしら…………、あれ、詩織ちゃんは?」
 愛が振り向くと、そこには白くなった真琴しか残っていなかった。







 ゆっくりと夕焼けの中。

 てくてく。
 歩いている靴の音が、耳に聞こえる。
 握っている手の平から、詩織の体温が感じられる。

 公は、ぽつりと漏らした。

「災難だったね」

「うん」

 公は、右手で詩織を優しく引き寄せた。

「何もなくて良かった……………、他の男のところに行っちゃ駄目だぞ?」
 詩織は少しうつむくと、恥ずかしげに頷いた。

「……うん、行かない」




 まったく、油断も隙もない……。

 詩織がもてるのは分かり切っているから……俺がこんなことでいちいち一喜一憂していたら駄目なんだろうけど。

 そんなことを考えているとは。
 もちろん、詩織にはナイショ。



 公は、茜色の空に高校生活を思い浮かべて……横にいる恋人の手をそっと握り直した。



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