第七話コノキナンノキ









 久しぶりの日曜日。

 伊集院家は朝から忙しい。

 使用人がせわしなく動き回っているからだ。

 例えば!
 骨董品のツボを割ってしまい、びびった掃除人が厨房の割れた皿の中に紛れ込ませておいたり。
 または!
 それを発見した料理長黒沢がフランス料理のコーディネイトに使ってしまったり。
 ……ろくなことをしないのである。
 いや、もちろんこんな人ばかりではありませんよ?



 父、伊集院重蔵は愛娘、レイの様子を不思議がっていた。
 ……名前とは裏腹に、容姿は細やかだ。綺麗、かつ良い男。
 さすがレイの父親なだけはある。


 レイは今、


 変。

 なんか、娘は最近料理を始めたようで……それはそれで良いのだが。

 何故顔を赤らめながら作っているのだろう。

「……変な姉さま」
 メイはそう言うとぱたぱた走り去っていった。



「レイ、変じゃないか?」
 メイではないが妻に訊いてみる。

「年頃ね……」
 リーセアは重蔵の顔を見上げるように、言った。
 日曜の朝、この時間帯はテラスでティータイムになっていることが多い。
 もっとも、日曜の朝くらいしかまとまった暇がとれないのは伊集院家当主の辛いところだが。……とはいいつつ、仕事を抜け出すことはしょっちゅう。
 不真面目が服を着て歩いているような感じです。


「もう十六歳だもの、きっと意中の殿方が出来たのよ」
 リーセアは楽しそうにティーカップを置いた。

 重蔵は頷いた。

 その解釈が一番「面白そう」である。

 思えば、自分とリーセアが出会ったのも十六の時だ。
 フランスから転校してきた彼女に一目で駄目になった。

『Allo? 友達から如何でしょう?』

 なんつったりして。

 懐かしい。

「う…む……それはそれで微笑ましい。ただ親父には秘密にしないといけないな。何しろ、俺と違って煩い。あのクソ爺ぃは」
「娘を守るのは当然です」

 そりゃそうだ。
 重蔵は納得した。




 その少年にちょっと、会ってみたくなった伊集院重蔵である。










詩織ちゃん! 第七話「コノキナンノキ」






1 彼女の謎掛け。


 坂道。


 急な上り坂に公の心臓は鼓動を早める。


 ……苦しいな、……。


 俺はいつの間にかこんなにも、持久力が無くなっていたんだな。

 急な坂をを急激なダッシュをすることで無酸素運動の時間が作り出された。
 上りきった公園の前で止まる…………公はしばらく肩で呼吸。


「…ハア……うえっ」

 一瞬、呼吸を取り違え、吐きそうになった。
 不味い……なぁ……。
 ……不味いよなぁ……。
 膝が震えている……、無理矢理手で押さえた。

 公は鈍重に感じられた体を引きずりながら、公園の植え込みのコンクリに腰を下ろした。


 しばらくの間、太陽の下で寡黙に過ごす。
 毎日毎日毎日毎日……朝早くから走っている……のに、なかなかに体力が戻らない。



 ポーン

 てん、てん、てん………。

 ………足下にボールが転がってきた。

 顔を上げて見ると、遠くの広場で子供がサッカーをしているらしい。
 グラウンドから大きく蹴り出してしまった少年はぱたぱたと手を振る。
 公は立ち上がった。
 軸足を地面に踏み込ませると、アウトサイドでボールを蹴った。



 ボールは低く鋭い弧を描き……少年のほんのわずかに横でバウンドした。

 遠くで、声が聞こえる、どうやらありがとうと言っている様子。
 公は大きく手を振った。



「あーあ、だぁめだ」

 ボール二つ分くらい、逸れた。
 精度が落ちているなあ……。

「そうでもないんじゃない」
「ん?」
「蹴り出す様が、とってもビューティフル!」

 公は驚いて後を振り返った。
 この、特徴的なイントネーション。

「あ………」

「イエ〜ス。片桐彩子よ」

 ベンチに座っている少女は親指と人差し指を組み合わせてキャンパスを作る。
 主人君……いい絵ね、うん。

 彩子は、えへ、と明るく笑った。
「……と、私は思ったワケ」
「日曜の朝からスケッチかな」

「いいえ? 私もたまにはのんびりすることもあるわ」
 カーキ色のセーターを着た彩子はベンチに手を置く。
 こんなに天気が良いんだもの!
 朝から散歩したくなったのも分かるでしょう。

「主人君、座ったらどう?」
「あ……うん」
 公は彩子の隣に腰を降ろした。


 いい天気だ。

 しばらく少年達がいるグラウンドを見ていた。


「主人君もやっていたんでしょう?」
「知っているの?」

「望からよく聞くもの…………あの子、あなたのことばかり話すのよね」
 にやにやと、彩子は意味ありげな笑みを浮かべる。
「付き合いが長いから………、昔からいろいろと世話になっているよ。いつもは彼女と一緒に走っているんだ」
「望に気があるのかしら」

「い、いや、そういうことではないけど」

 公は慌てて弁解した。



 ぶえっくし。

 清川望は大きくクシャミをした。

「あ、噂されているね」
 上級生の女子生徒部員が声を挙げる。

「一回は良い噂、二回は悪い噂。……三回は恋の噂ってね」
「はあ……」
 望はバスタオルを身体に巻いた……室内プールなので別に寒いと言うことはないのだけれども。
 コーチが声を張り上げる。
「清川、風邪には注意!」

 ははぁ、風邪……。
 気を付けないとな。



 公園の帰り道。
 公は彩子と一緒に商店街を歩いていた。
 明るくおしゃべりをしながら歩いているので、傍目にはカップルにも見える。

「もう二年生ね……」
「その前に春休みがあるけど。まあ、試験が終わってからの話だし」
「ちゃんと勉強しないと藤崎さんに怒られるわよ?」
「……、気を付けるよ」
 怒られたことは、無いけどね。
 と、公は呟く。

「そうした方がいいわ」
 彩子との会話は、公は案外楽しいと感じていた。


「あなたって学校では目立つのよ」
「は? 俺頭悪いし、二枚目じゃないし、取り柄無いよ」
 公としてはいささか理解しかねる内容であった。
 彩子は少しだけ、笑って見せた。
「ウ…ン…………stupid。そういうことじゃないのだけれどね」
 すてゅーぴっど……って、なに?

「分かっていないでしょ?」
「さっぱり」
 すてゅーぴっど……てなんだろ。

 と、いうか俺は片桐さんが分からん。

「ねー。手を、つないでいい?」
「駄目」
「う…ん。ケチねぇ。本当に藤崎さん一筋なのかしら」
 分からない人だ。


「あ、このマンションだから……ここでいいわ……。送っていただいてありがとう!」
 とりあえず、エントランスホールまではと、エレベーターのボタンを押すところまでは見送る。
 彩子は公をじっくりと見た。
「なに」
「ぬしびとこうは、は何を思うの?」
 エレベーターの扉が開く。

「グッバイ主人君。また明日ね〜」

 既に背中を見せて、エレベーターに乗り込む彩子。

 扉はすぐに閉まった。


「変な人、………」




2 約束しよ〜ね!


 月曜日の朝、公は時間にちょっとだけ余裕を持って家を出ることにした。
 珍しく。
 靴ひもを結び、学生鞄を手に取る。
 いってきますと、玄関を出る……ここまでは、いつも通りです。

 この後、詩織に抱きつかれなければ、だ。

「こ〜う、ちゃん!」

 うしろから、ガバッと。
 むぎゅう。

 あ、朝から……、詩織は、なんて大胆な……ことを。
 うぅ。

「……。人に見られたら不味いよ……詩織」
 しどろもどろになりながら、でも気持ちが良いので本当は離してもらいたくない公。
 考えていることは言わないけど。

「別にいいよ? ……ねえねえ、公」
「なに」
「今日ねえ、私、お弁当作った」

「は」


 お弁当を「作った」?

 もう、作っちゃったの?

 公は幼なじみの顔を見る。


「なに?」

 うっ、か…わいいぞ。
 今日も朝から極悪に可愛い。

「一緒に食べよ?」
「あ〜、その、なんだ。……げほげほ」
 このあとどう切り出そうか? とりあえずせき込んではみたけれども。

「だいじょうぶ」

 何故か詩織は力強く断言。
 つられて頷く公。

「…………あ」
「いっしょにー」
 詩織は正面から公の胸板に顔を埋めた。
 無意識に詩織の背中を抱きしめる公。
 柔らかくて、良い匂い。

 しまった、と思う時間は耐えられなかったので悲しい。





「どうした庶民、暗い顔して……」

 休み時間ともなれば。暖房の周りにクラスメートが集まる。
 冬は寒いものな……。

「いや、人には人の人生があるんだ。深入りしない方がいい……」
 遠い目をして呟く公。
 ずっとこんな感じだ。

 レイは両腕を組んでどうしたものか、と思案する。



「主人さん、どうかしたんですか?」

 たまたま通りかかった美樹原愛が同じように声を掛けた。
 空を眺める公。
 ………空を。
 しかし、愛はぼそっと呟いた公の言葉が聞こえてしまった。

「し、詩織ちゃんが?」
 中学時代、何度も詩織の家に遊びに行っていた愛が、藤崎詩織の料理の腕を知らぬはずはなかったり。
 詩織ちゃん………、大丈夫なの?

 珍しくまるで漫画のように取り乱した愛にレイも驚いた。

「藤崎さんがどうかしたのですか?」
「な、何でも……無いです」
 もじもじと下を向いてしまう愛。

 公はもう一度、ため息を吐いた。



 要は方法論の問題なんだよな……うん、それだ。

 一年F組。

 普段なら、絶対に近付かないクラスの前に公はいた。


 ……あ、いた。

 公は目当ての女性に声を掛けた。
 慎重に言葉を選ぶ。しかし実際に出た言葉はえらくストレートであったことに慌てる。
「あのさあ……味覚が馬鹿になるクスリ無い?」


「珍しい事件ね」

「事件?」

 当然、紐緒結奈だ。

「あなたが自分から会いに来るなんてね」

「……、まあ、そうせざるを得ない時もあるのだ」
 何も好きこのんで会いに来たりはしないぞ………紐緒さんには一学期に生体実験されかかった嫌な思い出がある。
 そうです、あれは怖かった。

「だから薬くれないかなって」
「何故?」
「うっ、何故って……」

 結奈はゆっくりと公に向き直る………。




3 紐緒さんの思考。


 紐緒結奈は化学室で昼食を取るのが日常です。

 彼女は通常シリアル食品で済ませることにしている。
 お腹にものが溜まると頭の回転が鈍くなるから、らしい。

 しかし、ビーカーやらフラスコに囲まれて食事をして楽しいのだろうか。
 なにやら不思議な光景だ。
 誰もいないし……。

 ガラッ

 と、思ったら誰か入ってきた。
 望でした。
 翡翠の色をした短い髪……健康そうな瞳……。存在自体が「主張している」女の子だ、清川望は。


「お、悪いね。食事中に」
「何か用かしら」
 クラスメイトの姿に結奈は視線だけ動かす。

「うん? 先生に機材を持ってくるように頼まれただけさ。授業で使うわけじゃないらしいけど」
 望はロッカーを開けてごそごそやりだした。
 普通、生徒にこういうことはさせないものだが、かなりいい加減な性格なのだろう。

「あなた、食事は終わったのかしら……」

「いや、これからだけど。……なんだ、あたしと一緒に食べたいのか?」
「私は終わったわ」
「………。変な奴」

 …………。

 変な奴。

 望はもう一度心の中で反芻した。


「……そーいえば、さっき主人の奴に変な小袋を渡していたな……何だアレ?」
 機材をあさりながら、望は先ほどの光景を思い出した。
 主人がうちのクラスに来るなんて珍しいのだ。
 しかも、目的が紐緒って……。

 結奈は机の上にある小さな小瓶を手に取る。
 中からは白い半透明なフィルムに包まれた細粒が覗けるのである。
「ああ、これね」

「そう、それだ」
「胃薬よ。単なるプラシーヴォ効果」
「プラシーヴォって?」
「……思い込みの事よ」

 分からないなあ、という顔をして望は不思議がった。


「無粋ね」


 結奈は楽しそうに微笑んだ。




 屋上は寒い。

 辺りには誰もいない。
 そりゃそうだ、冬だし。


「詩織、外で食べるの寒くないか?」
「ううん」
 詩織はお弁当の包みを広げ始めた。
 詩織の膝の上で薄い黄色の布がはらりと開かれる。

 確かに、二人分ありそうな量だな……あ、卵焼き。
 詩織は公に寄り添うように……というか、どんどん近寄ってきているような……。
 彼女は顔を公のすぐ側まで近づけた。

 ごくり。

 何故か、詩織のくちもとを見て胸の鼓動が早まるのである。
 どきんどきんと。
 公は健康な高校生なので仕方がないのだ。

 詩織の挙動の一つ一つ確認しながら、塗箸に挟まれた卵焼きを見る。

 ああいかん、御飯を食べる時間だった。
 今、本気で忘れた。

「はい、公、あ〜ん」
 これは……、しょっぱいのか?
 それとも甘いのか?

 大丈夫なはずだ、紐緒さんから渡された薬は飲んだし……。


 ん?


「詩織、美味しい」
「ホント?」
 詩織の顔がぱあっと輝く。

「じゃあ、これは?」



 でも最初だけだったのだけれども。

 さて、烏龍茶はどこでしょう?





4 最初から始めよう!



 今日の試験はバッチシだった。
 ような気がする。

 しかしあれで駄目だったら好雄とも一蓮托生だろうな。
 少なくとも落伍者が自分一人よりは良い。
 仲間は多い方が……。


「ま、……まだ初日なんだけど」
 低く、のしかかるようなグレーの空。それでいて、広く何処までも果てしのない……。
 芝生の上で寝っ転がり、公はぼんやりする。
 相変わらず季節感がないので、上に何も羽織っていない。
 校内に人がいなくなってから、数時間。


 公にそっと近寄る影がひとつ。

「寒くないの? 信じられないわね」

 彩子はあきれた。

「ん?」
 何時の間に………。何故、俺の周りにはいつも人が寄ってくるんだろうか?
 公は自問自答。

 一人でいたいから、ここに来ているのに。


 …………。
 ……。


 まあ、いい。
 公は「一人でいること」にした。











「……片桐さん」

 隣りに腰を降ろしている彩子に語りかける公。


「なに?」
「俺って、何だと思う?」
「……。質問の意味が分からないけど」

 彩子は少しだけ考え込んだ。

「I don’t know」
「ああ、そうだよね」
「色々と、悩んでいるのね………、でもいつまでもこんなところにいると本当に風邪引くわ」
 彩子は風に乱れた髪を手で流した。

「あ、うん」
 それでも公は起きあがらない。

 空の……高いところをじいっと見つめている。
 奇妙なことだけど………、多分、片桐さんは俺のことを俺より理解しているな……。

 それはそれは、とてもおかしなことなのだけれども。

 自分の事が良く分からない自分って何だろう。


 公は理由を聞いた。
 彩子はあっけらかんとして答えた。

「それはね。私がアーティストだからよ」
「つまり?」
「ウォッチャーなの、私は」

 ははあ。

 公は納得した。






5 勘違いのタイミング。



 テストともなると自然に気合いが入る! ……のは普通の高校生じゃあないなあ。と、自分に言い訳を繰り返しながら勉強するのが公である。

 もちろん、好雄もそうだ。

 だから図書室にいるのだ。

「あ〜、嫌だ嫌だ。はやく遊びたい」
 好雄は早速、飽きたようだ。忍耐力というスキルを生まれてくるときにどこかへ落としてきたらしい。
 我慢強い好雄なんて見たこと無いぞ。

「好雄……そういうことは終わってから言いさらせ。こっちの気が萎える」
「だってよ〜、俺はこういうのが嫌いなのだ」
「如月さんが見ているぞ」
「おっとそうだった。公、よそ見はいかんぞ」

 好雄は猛然と机に向かい始めた。
 むろん、長くは持たない。


「無理しなくてもいいですよ」
 未緒は優しく好雄を気遣う。
 公は頷いた。
 無理はしない方がいい。

「ちぇっ、公には優秀な家庭教師がいるからな〜。可愛い可愛い家庭教師が……羨ましいこって……」
 何故かひがんだような言葉に聞こえるのは気のせいだろうか。

 言外には、「朝日奈教師は全くアテにならんのに、不公平だ」という意味が隠されている。

(……分かってないな)

 俺は詩織と勉強をしたことなんて無い。

 あいつと一緒に勉強すると勉強にならない。と、公は踏んでいる。
 詩織が望むのは『いちゃいちゃべたべた』であって、『勉強』ではない。
 十秒に一度は甘えてきそうな予感がある。
 だから、無理。
 だと思うわけです。
 大体、詩織を部屋に入れたらお袋が死神のごとく怒るんだ。
 いや、それは詩織が悪いのではなく、俺が信用されていないだけなのだが……残念なことに前回の喧嘩は決着がつかなかった。
 なんで、

「試験勉強かしら?」


 どきっ


「あ、藤崎さん。こんにちは」
 噂をすれば影……見上げたら藤崎嬢の顔があった。
「二人のお世話大変じゃない?」

 詩織はにっこりと。
 どうやら、愛と勉強していたらしい。
 詩織の陰でぺこりと愛が頭を下げた。

「いえいえ。私もついでですし」
「じゃあ、私も一緒に勉強して良いかしら? メグも一緒だけど……」
「藤崎さんがいるのだったら心強いですね」
 嬉しそうに未緒は言う。

「うふふ、でも国語は如月さんの方が得点高いわよね。……メグ、そうしましょ?」
「う、うん……」


 男二人は顔をべったりと付けるようにして囁きあう。
「あらら、美樹原さんも……。公、変な方向に話が進んでいるぞ? いいね、いいね、これ」
「……俺は何やら物凄く嫌な予感がするんだが」
 何故か、汗など垂らしつつ、公は好雄に耳打ちをする。

 詩織の表情が、その、あの……………。










 ぎゅぅぅぅぅぅ!

 公の予感は当たった。

 隣りに座った詩織に机の下で思いっきりつねられた。

「家庭教師を雇ったの? ふ〜ん、私、知らなかったなー。ね、公?」
 微笑んでいる詩織。

 合掌。





6 言えてる。



 冬の景色というものはどこか寒々しいなあ。

 秋の紅葉はついこの間だったのに……。
 公はしみじみと時の流れを感じた。


 帰り道は、当然詩織と一緒になる。
 様々な事情が絡み合い、公としては一人で帰りたいところであるのだが、図書室で捕まってしまったから仕方がない。


 公園のベンチにて公は詩織をなだめるのに必死だった。

「………公くん、可愛い家庭教師って誰?」
「いや、そうじゃなくて」

「あのね、わ、私の知らないところで、………そ、その」

 うわわ!
 ど、どうすれば。

 見る見るうちに詩織の瞳に大粒の涙が溜まっていく。




 その場所からわずか数メートルだけ離れた巨大滑り台に身を潜め、望は愚痴た。

 あたしってば、最近こんなのばっかりだな。

 いや、それよりも何故こんなところに居るのだろう……。
 ひょっとしてかなりの馬鹿じゃなかろうか。

「そう、自覚したのね……」
 結奈が望の耳元で囁いた。

「う、自覚はしていない……大体、紐緒が付き合えって言ったんだろう」
「…………さあ」
 紐緒は公達を見ながらデータを入力中、恐ろしいキータッチ速度の上に、まったく手元を見ていないところが凄い。
 そのデータを元に何をやろうとしているのかが問題だ。
 以前と同じく、望は聞かないことにした。
 実は疑似人格プログラムのモデルに公と詩織を題材にしているのであるが、望がそれを知ることは無いのである。


 公。

 結奈の反対側の隣から、男の声がするのに気が付いた。
 しかし、早乙女ではない。

「ここで藤崎を抱きしめれば株が急上昇……頑張れ公」

 何か、握り拳で力一杯応援しているようにも……、望は……変なものを見る目で男に言った。

「ちょっとまて、キミ、誰だ?」

「ん?」

 少年は振り返る。
 美少年というわけではないと思うが容姿は悪くない。
 中肉中背で、……なんか、結構人の良さそうな……あるいは逆に好戦的な印象も。
 いや待て、この男どこかで見たことあるぞ。

 ………え〜っと。

「去年県下MVP、東高校サッカー部ホープの……」
 情報を入力しながら無機質な声で淡々と語る結奈。
 こちらをまったく見ずに、自分の情報を語り出す女を見て、要はものすごぉく嫌な汗をかいた。
 誰だ、怖すぎる。

「あっ、よく見れば、西要(かなめ)じゃんか!」
「……そういうお前は清川だな……そうか、公と同じ高校だったものな」
 公と望の中学はしょっちゅう練習試合をしていた。そして、要は公にべったり。
 ですんで、お互いに挨拶をするくらいの顔見知りではある。

 ただ、まともな話をしたのは今回が初めてだったりします。

「男のクセに覗きか………怖いぞお前。まさか西も藤崎さん狙いとか……」
「違う。俺は個人的に『公』を観察していただけだ」
 要は髪の毛を掻き回した。



「威張るな、西」

 望と要を見下ろす位置にいた公。(怒ってる)
 横には泣きやんだ詩織がいる。(公にぴたーひっついている)
 ひそひそ話をするには五月蠅すぎたような気がする。

「西君、何しているの?」

 詩織の問いの返答に詰まった要は、ちょっと止まる……。

 そして公を見る。

 公を見る…。
 公を……。
 ……。


「さ、さらばだ!」

 全力疾走でその場を去る要。



 こけた。


「レイちゃんみたい……」

「あいつ、マルコメ止めたんだなあ……」


 呆然とする三人を尻目に、公園には結奈のキータッチの音だけが聞こえるのである。







 居間に洗濯物が山になっていた。

 詩織はそれを一枚一枚丁寧にたたんでいく。
 正座の形が美しい……このちゃらんぽらんな母親からどうして……と、思わなくもないが、実は藤崎母は躾には厳しいのです。

「やけに御機嫌ね」
 母は機嫌良くハミングしている娘の顔を覗き込む。

「うん、明日公と一緒に勉強するんだ!」
「へー、良かったわね。……あら? でも公君の家は出入り禁止じゃなかったの?」

 詩織はぴたと手を止める。

「うん……、だからわたしの……ごにょ…で………」
「何?」
「……わ、わたしの……………………部屋で………ね、勉強を……ね……するの……」

 詩織は顔を桜色に染め、洗濯物で顔を隠す。

「誰と?」
「…………公と」

 そう言った時点でリミットを越えたようだ。
 しゅしゅしゅしゅしゅー。

 頭が沸騰した詩織はだだだと部屋の外へと出ていった。

「しおりー、洗濯物はー! ……あら、外に行くのー?」





 夏は夜。

 でも、冬も夜だとレイは思う。

 だって、こんなに綺麗なんだもの。
 しょっちゅうナイショで買い物に来ているツウィンクルの帰り道、満天の星空を見上げレイは白い息を吐いた。
 そろそろ春なのになア……。


 あれ?

 街灯の下でしゃがみ込んでいる詩織の姿を遠くに見つけた。
 レイは駆け寄った。

「レイちゃん……」
「どうしたんですか、こんな時間に」
「うん、ちょっと、頭を冷やしているところなの」

 また分からない。


「レイちゃん、時間はあるかなあ。今、帰りなの?」
「は、はい。えぇと、時間は少しなら……」

「そう、じゃあ、学校行かない? 私、行きたい場所があるんだ」





 闇の中、葉を大きく広げた巨樹は月光を遮り、神々しく立っていた……。

 薄黄金色の髪を湛えた少女は呟いた。

「伝説の樹……ですね」
「……この樹、名前があったの?」

 この樹は落ち込んだり、嬉しいことがあると見上げるのだ。
 それは詩織の中だけの決まり事。
 でもあまり落ち込むことはない。

 いやー、性格ですんで。

「知らなかったんですか? この樹の下で告白された人とは、一生幸せになれるっていうきらめき高校の伝説があるんです」

「ふ〜ん」

 知らなかった。
 ちょっと遅かった気もするけれど、まあいいや。
 もう付き合い始めちゃったし………。


 伝説の樹。
 公。

 伝説の樹。

 こう……。





 藤崎詩織は満面の笑みで星空を眺めた。









 何を考えているのかは、やっぱりよく分からない。











「詩織ちゃん!」一年生編終了
   二年生編へ to be continued……


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