第二話トンデモ・ハップン
詩織ちゃん! 第二話「トンデモハップン」






1 いいの?



 公と、詩織は一緒に帰り道を歩いていた。




 まだ昼の二時過ぎなのに、雲は暗く、遠くの景色は天と地が融合しているようだ。
 事態が急転し、公は未だ混乱の中に思考を置いていた。


 左手にはあたたかく、やーらかい詩織の手がしっかりと。
 彼女は機嫌がすこぶる良いらしく、にこにこしていた。


「詩織……なんであんなこと言ったの?」

「……迷惑だった?」
 詩織は形の良い眉をわずかだけぴくっとさせた。
「いや。俺は嬉しかった、けど」
 だったら問題ない、と、詩織は言った。


 夢、じゃないのか。
 本当なら神様に感謝して生きることにするけど。
 詩織はちょっとだけ疑わしきまなざしを公に注いでいる。
 ……いや、そりゃこんな不安な顔していればそうか。

「あ、そうだ! 公、ちょっと待ってね」
 忘れないうちに渡しておかないと。詩織は学生鞄からチョコレートを取り出す。
「はい、受け取ってください!」
 嬉しそうに笑っている詩織が差し出した綺麗に包装されたそれは、どこからどう見ても本命チョコレートの大きさ。信じて良いのだろうか?
 ずっと言いだしそびれていた、昨日とは逆の質問をつけてみる。
「あのさ……。し、詩織は、俺のことが好きなんだ?」
「ずっと、ずっと、好きよ?」

 ぐあ。

「…………い、いいの? 俺なん」
「公がいい」
 ぎゅっと、手に力を込める。
「あ、そう……」

 公は照れてしまったのか、顔を合わせないながらも手は決して離さない。


 ぬるい空が、また近くに感じられた。







 伊集院家。


 伊集院レイはぼけ〜っとして、テラスの上にいた。

 ロッキングチェアに座り、体をゆらゆら揺らしている。


 ゆら、ゆらゆら……。
 ゆらゆらゆら。



 気が付くと料理長が横に立っていた。
「やはり、私が作れば良かったのでは……」

 そういう問題じゃなかった。

 沈黙。
 …………。
 …………。
「ひとつ、質問、宜しいですか」
 薄くなりかけている頭をさすり、黒沢は空を見ながら言った。

「………………何」
 不機嫌そうにレイは聞き返す。

 普段よりもやや目つきが険しい、温厚なレイにしては珍しい……。何となく、身の危険を感じつつも黒沢は続ける。
「調理場に残されたチョコレートはなんだったのでしょうか、と」

「えっ?」

「置きっぱなしになっていたアレです」

「アレ?」

 チョコ……レート…………。
 私、二つも作っていないけど…………。

 まさか、「中身を入れ忘れた」……とか………?

 白い木製テーブルの上のグラスに自分の瞳を見いだし、レイは体を起こした。
 自分の間抜けさ加減にため息をつく。
 そうね、ひょっとして渡せなくて良かったのかもしれない。

「で、それ、どうしたの?」
「メイ様が『やっぱり手作りはおいしいのだ〜』と召し上がっていました」

「……ああ、そう。メイがね……」

 可愛い妹の姿を思い浮かべる。

 レイは無性に可笑しくなった。


 明日は、笑えるかな?





2 天国と地獄。(色ボケはよくなかった)



「ただいま……」

 公はゆっくりと玄関のドアを開けた。

 そ〜っと、そ〜っと。

 耳をすます。
 耳をすます……。
 …………。
 よし、誰もいない。
 鬼ババもいない。


「よし、……入ってもいいよ」

「おじゃましまあす…………。ねえ、私、公の家に来るの久しぶり!」
「そういえば」
 そ〜っと、公に倣い、詩織が玄関をくぐる。

「……なんにも、変わっていないね」
「なんにも変えてないから」
「面倒だから?」
「そうともいう……」
 くすくす…………。
 公と詩織はお互いに声を漏らして笑った。


 公は台所で一人紅茶を入れている。
 ダージリン……いや、オレンジティーのほうが喜ぶかな?
 まるでルンルン気分の奥さんになったように公は銘柄を選ぶ。
 男子高校生とは思えないテキパキした手つきでお茶を入れている公。
 なにかが間違っている光景だ。

 暖房を焚いた部屋はぽかぽか。
 熱いティーカップを置き、詩織は公に色んな事を聞いた。
 他愛もない話題で盛り上がっている。


「……公は部活に入らないの?」
「ん、多分」
「中学まではあんなに夢中だったじゃない、サッカー」
「色々あるのだよ、俺にも」
「ふ〜ん」

 怪我したからね、と口の中でそっと呟いた言葉を飲み込んだ。

 望が知っていることを、幼馴染みの詩織は知らない。(本当は知っているのかもしれないけど)
 昔と違って、今ではお互いに考えていることがほとんど分からなくなっている。
 三年くらい、ほとんど接触しなかったおかげで。
 でも……昔の感覚は戻ってくるものだ。

 そう、詩織とはいつもこんな雰囲気だった、どこで忘れたかはもう思い出せないが……。失った時間は取り戻せないけど、忘れたものは思い出せるかな?
 ぶ、ブランクなんてへっちゃらさっ。

 公は虚勢を張ってみた。


 そっと、詩織に近付く公。
 公の大切な幼なじみは、ざぶとんの上で。うつむいてちょっとだけ震えていた。


「…………………」
「詩織……?」
 具合でも悪いのか? 公は心配になって顔を覗き込む。
「ぷっ……あ」

「ぷ、あ?」



「あははははははははは、こ、こーう、まだ持っていたんだ」
 突然笑い出した詩織にビックリ。

 彼女がお腹を抱えて笑っている元凶は彼女の手の中に。
 よくよく見てみるとそこには幼稚園時代の公と詩織の姿が映っている写真立てが……あれ?
 公は一気に頭に血が昇るのを感じた。

 公と詩織がまだ幼稚園だったころ、主人家と藤崎家で一緒に遊園地に行ったことがあったのだ。ま、あの当時は一緒に出かけること自体珍しくなかった。
 しかし、幼子の習性か、そのときに公は迷子になってしまい、親に見つけてもらったときにはわんわん泣いていたのである。
 これはその時の写真。
 大粒の涙を流して泣いている公をよしよしと撫でている小さな詩織が映っている。

「だ、駄目だ! それ、返せ!」
 伸ばした公の手をひょいと避ける詩織。
「あははは、やっだよー。赤くなっちゃってかっわいい」
「こ、こいつ〜」
 かわいさ余って憎さ百倍。
 ばたばたと、真ん中の机を中心に『写真立て争奪戦』が始まる。なんか、非常に馬鹿らしいことをしているようにも見える。
 どてっ。
 詩織の制服を捕まえることに成功した公だが、勢い余って倒れ込んだ。
 そう、ちょうど詩織に覆いかぶさるように……。
「あ……」
 一瞬、公の心臓が止まる。
 詩織の方は気にしていない様子だ。
 寝っころがりながら、写真を見せる。
「ねえねえ、なんでこんな写真、大事に飾ってあるの〜?」
 まっ赤になり、公は詩織の手中からソレを取り返そうとする。
「し、仕方ないだろ。詩織と二人で映っている写真、他にないんだから!」
 くすくす笑いながら詩織は右手の追求を逃れる。
「やだってば」


 この日は幸運があったからかな、この後が不味かった。


「ちょっと、うるさいわよ!」
 いつの間にか帰宅した母が息子を叱りつけに来ちゃったのだ。
 公も詩織も、そのままの姿勢で固まる。



『あ』

 母も、固まった。





3 二人の友達。


「そんなことがあったんだ。あははは」
「清川さん、笑い事じゃないよ。死ぬほど説教されて……鼓膜が破れるかと思った……」
 めちゃくちゃ久しぶりに清川望と早朝マラソンを共にしている主人公。
 夜が明けたばかりのきらめき市は実に静かなである。大寒からそう遠くない日で、吐く息はかなり白い。

「なんか弁解した?」
「一応。でも、聞いてくれなかった」
「そりゃ大変だな……。まあ、良かったじゃん。愛しの君と両想いになれたんだからさ! 昨日は驚いたぞ? 藤崎さんって、いかにも『優等生』って感じだから、そのテのことには興味が無いと思っていたけど……何故に主人なんだろうな」
 何故か、いつもより口数が多くなる望。

 二人ともべらべら喋りながら走っているが、つらそうな様子はない。
 走るのは好きだ。

「ところが良いことばかりじゃないんだよなあ……」
「?」


「俺さ、詩織を押し倒したんだぜ? なのに、あいつ『きゃあ』すら言わなかった。っていうことはさ……俺、男として見られていないんじゃないかって思って」
「ははあ、今でも幼なじみの公ちゃんってことか」
「清川さん、どうすれば良いと思う?」
 かなり弱気な公くんは、ワラにもすがる思いで望に質問する。
「あ、あたしに聞くなよ。そんな知識ないんだからさ」
「そうか……清川さん、中学から知っているけど男っ気は無いもんなあ」

 むっ。
 あたしかなり無礼なことを言われていないか?
 天然の主人でなければ張り倒しているところだぞ。

 ふんまに、もう。

 ぷくぷくと、望の頬が膨らむ。
 これはこれで可愛い。


「……でも、そうか、藤崎さんってそういうことに奥手なんだな、というかニブイ」
「時間が経てば何とかなるかもしれないし」
「……頑張れ、主人」
 口元に吐く息が白い雲を作り出す。
 公からすると、清川望はとても良い友達であった。







 早乙女好雄の登校風景はいつもとは一風違ったものになっていた。
 昨日の後遺症がまだ残っているらしい。
 詩織ちゃんの「うん」発言を聞いてからずっとこの調子だ。
 妹の優美には「また何か変な物を食べたの?」と言われ、「お兄様に向かってなんてことを言うんだ!」と、そのときだけは反論しておいた。

 通学路の途中で、朝日奈夕子が好雄を見つけ、声をかける。
「おっはよー!」

 夕子の言葉は耳に入らないようで、好雄は黙々と思案に暮れている。
 公のヤツ、嬉しそうだったな……じゃなかった、一番驚いていたっけ。
 憧れの詩織ちゃんを射止めるとはなんとも幸せなヤツ。やはり幼なじみっていうのが効いているのだろうか。う〜ん、先に彼女を作られるのはなんとも寂しいが、そう、そこは親友だ。影ながら応援してやろう。くぅ〜、これこそ友情だぜ!
 かなり、自分に酔っている。

「待っていろ、公! この俺が詩織ちゃんとの恋愛成就を祈って手取り足取り!」


 夕子は鞄から教科書を取り出し、くるくると丸める。

 第一球……振りかぶって……。
 …………とっても大きな音がした。

「……っつ、痛っ! こ、こぉの馬鹿女! いきなり後頭部を殴るなっ!」

 女の子バージョンの早乙女好雄こと、朝日奈夕子は心外そうに腕を組んだ。
 夕子は好雄と並んで校内の情報屋として名高い。

「馬鹿女とは失礼ねえ。昨日の恩を忘れたの」
「へへ、お前にもらわなくてもほかの娘にもらったからな」
「なーに、威張っているのよ。義理でしょ、どうせ。……ヨッシー、今面白いことを叫んだね」

ギクッ。
「藤崎さんとぉ……主人君がぁ……」
 指を折って、思い出したように考える夕子に、いきなり好雄は動いた。
 がばあっと、夕子の両肩を掴んで。
 ほとんど教科書も入っていない鞄がどさりと落ちる。

「すまん、そのことは忘れてくれ! お前に噂をばらまかれたら公のヤツ、男子に殺されちまう」

「噂? 流さないわよ、そんなの」
 夕子は何を言っているの? と心外そうな顔をした。
 好雄は息を安堵する。
 この女に二人の仲をめちゃくちゃにされたら公に合わせる顔がないぞ、まったく。





「ちょっと、調べてみるだけ」

「だから、それを止めろ〜」
 好雄は夕子にすがりついた。




4 主人公と伊集院。



 木枯らしと呼ぶには、すこし湿った空気が公とレイの髪の毛を揺らす。
 寒いのだから閉めればよいのに、何故か公はいつも風を受けている。
 それが好き、らしい。


「テストが終わったら、もう冬休みだな……」

「当たり前のことを……」


 放課後、廊下にて。
 なにか、ここで伊集院と話しているのは習慣になってしまっている気がする。
 大体は、一人でいるのが好きなのだがいつの間にか、いる。

「……なんか、先日もこういう図がなかったっけ? 伊集院」
「さて……、昨日のことは忘れる主義なのでな」
 …………。
 素直じゃない。
「まったく」



「伊集院君」

 公が横目で声の主を探ると、それは虹野沙希であった。

 沙希はレイに近寄り、バレンタインの戦況を聞く。

「どう、妹さん。ちゃんと作れた?」
 せっかく、レシピを教えたのだから結果ぐらいは知りたい。


「…………それはもう嬉しそうに食べていたな」
「食べて……? あげなかったんだ?」
「うむ」
 沙希はなんとなくわかるような気がした。
 なるほど、乙女心は複雑なのよね……。

「何の話?」
「えっ、あ、……何でもないの。……そういえば主人君、入部の話、考えてくれた?」
 慌てた沙希は、話題を無理矢理に方向転換した。ちょうど良い機会だったし。
「いや、何度も誘ってもらって悪いんだけど、サッカーは中学でやめたから……」
 だから怪我したんだってば……。
 どいつもこいつも話を聞いてやがらない。
 レイはちょっと意外に感じた。
「庶民がサッカーだと?」
「あ、うん。少しだけやっていたんだ」
 主人公とスポーツとは無縁に思えたのだ。


 主人公は入学して以来、毎日なにもせずに校内をぶらぶらしているか、家に帰ってしまうかのどちらかだ。端から見ていると「無気力男」の代名詞に思える。
 こんな男のどこに惹かれているんだろう? レイ本人にもそれがわからない。

 ……分かってる。

 天の邪鬼な自分に唯一付き合ってくれるからだ。


 申し訳なさそうに頭を掻く公に、沙希は寂しそうに微笑んだ。

「いいわ。気が変わったら教えてね」





 …………。
 相変わらず、公は校庭を見下ろしてぼーっとしている。
 まるで空想世界に没頭しているかのように。

 今、気が付いたけど主人君の髪は蒼いのね…………。
 ほとんど黒なのだが、光に照らされるとほんの少しだけ浮かび上がるその色。だからというわけではないが、なにか、独特な…………表情。
 レイは、その横顔を黙って見ていた。










5 公園にて〜予感


 思い切って言った言葉に、幼なじみはキョトンとしていた。


「でーと?」
 詩織は聞き返す。
「い、嫌ならいいんだ。たまたま、遊園地の入場券が余っているだけだから」
 公は慌てて手を振った。


 嘘です。
 電話でちゃんと予約して買ったペアチケットだ。
 公はどきどきしながら一日無料券を見せた。

 しばらくの間、詩織は何事か考え込んでいた。


 やがて小さな声で返事をした。

「いいよ」

「公、日曜日でいいの?」
「ああ」
「そうかあ、頑張ろ」
「何を?」
「…………ないしょ」



 公たちに見つからないように、公園の隅で聞き耳を立てていた夕子と好雄は、二人がいなくなったのを確認してから立ち上がった。

「ふむ、これはチェックね」
「お、おい、行くつもりか?」

 赤い小さな手帳に文字を書き込んでいる夕子を見て、好雄は溜息を吐いた。

「朝日奈、邪魔はやめとけって。あいつに彼女が出来るなんてこと、この先無いかもしれないんだぞ? しかも、あんな美少女が」
「あー、絶対何か勘違いしてるぅ。嫌ね、邪魔なんかしないわよ。ちょっと興味があるんだ……、アンタは一緒に行かないの?」
「…………」


 行くしかないだろう、お前が何するか分からんからな……。
 公の身に何かあったら、俺が責任をとらないとイカン!

 しかし、これが間接的に夕子とのデートになることに、好雄は気が付いていない。



 ……まだまだ、高校生の冬は終わりそうにない。





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