詩織ちゃん! 第一話「バレンタイン・デイ」




1.かわいそうに?



 はあ、もう夕方になるのか……。



 時計を見ると四時を指していた。それにも関わらず校内には女生徒の姿が目立つのが分かる。

 はやく帰れば良いのに、この時期の高校生は騒がしい……。
 今年なんかは特にそうだろうな。
 ヤツがいるから。


「どうしたんだ庶民。仏頂面をして」

 あ、ヤツ、だ。

 伊集院レイ。

 入学当初から何かと俺に突っかかってくる金持ちのボンボンだ。どのようなタイミングでも俺を見つけて何かとケチをつけてくる変な男。
 もしかしてこいつ男色なんじゃないのかなあ、といらぬ危惧を抱いたりしている公である。
 迫られることがあったら力一杯逃げよう……。
 と、考えていることなどは顔に出さずに公は言った。
「伊集院か……、いやなに、お前のことを考えていたんだ」
「なにぃ? やめたまえ気色の悪い。君のような庶民が高貴な僕のことに思いを馳せる場合は、最低でも許可が必要だ」
「ほう、許可は出るのか?」
「そう思っているのなら、君の頭は相当めでたいな」
「……あ、そう」
 半分開いた窓から流れ込んでくる二月の冷たい空気を浴びている伊集院の横顔…………う〜む、憎たらしくなるほど、綺麗な顔をしている。
 まったくもって羨ましいことで……。

 公とレイの立っている横を何人かの女生徒が通り過ぎていった。
 手には昨日発売の週刊誌が。
 「彼氏のハートをゲット! 最新版、手作りチョコレート特集!」
 なんつー、節操のない。

「ほう、そういえばもう二月か……バレンタインの季節になったのだな。君は藤崎さんからチョコをもらうのかね」
「嫌みか、それは……? 欲しいけどな、多分くれないよ。小学生以来、もらったことが無いからな、俺は」
 催促する勇気もなく、寂しく過ごした中学時代。
 俺だって義理チョコくらいならもらったことはあるけれども(注:あくまでも経験として)、彼女からは義理すら……。

 高校に入って藤崎詩織は一年生ながら、早くも校内のアイドルとなりつつあった。
 今年は「誰が藤崎のチョコを貰えるか」トトカルチョまで発生しているらしい。
 どう考えても詩織の目には俺なんか映っていないだろう。
 ある意味、俺の中では「禁句」なのだ。
「ふむ……なるほどな。今年は一個も貰えない、ということになるのか。不憫だな、庶民」
「……決めつけるな。縁起でもない!」

 公は背中にあまり気分の良くない冷た〜い汗を掻きながら、レイと一緒になって眼下の校庭を見下ろした。
 校庭では女生徒が笑って……。

「みんな、楽しそうだなあ……」




 伊集院レイは校門に待機するリムジンへと歩いていた。

 また、彼に嫌なこと言っちゃった……。でも、主人君……。
『主人公はチョコレートを貰えない』
 レイは何故か嬉しくなっていた。このしみじみとした嬉しい感触を胸に、足早に車の待つ校門へと急ぐ。

 高校一年の冬であった。




2.あう〜。


 長い髪をアップにし、藤崎詩織は母親と一緒に夕飯の支度を手伝っていた。
 今夜のおかずはコロッケです。
 冷凍物だけれども。

 凍ったままの生コロッケを油の中に入れ、弱火でジュクジュクと揚げる……。結構、時間がかかるのだけれどね。破裂しないように気を使いましょう。
 一人二個合計で六つ。からっときつね色に揚げられたコロッケを大皿に盛のは詩織の役目。その間、母はキャベツの千切りを作るべくまな板で格闘している。

 詩織は料理は上手にできないのですが、お手伝いはきちんとするのです。


 エプロンを外し、椅子に座る仲の良い母と詩織ちゃん。
 二人とも分担作業が終わり、あとは早めに帰ってくる父親を待つばかりになった。みかんの皮など剥きながら、テレビの話や学校の話をするのがこの母娘の最近である。
 何気なく母親が話題を振る。……聞きたくてたまらないのであろう。テーブルの上に両肘を置き、早くもマウントポジションらしい。
 逃がさないぞ、と。

 専業主婦は暇だ。



「ねーえ、詩織」
「なあに?」
 温州みかんをむきむき。詩織は爪に気を使う。

「詩織、そろそろバレンタインじゃない」
「うん」

「誰かにあげるの?」
「ぇえ?」
「だれかに、あげるの? って」
「考えてない……多分、誰にもあげないと思うけど」
「あれぇ、公君には?」
 にんまり笑い、昔の女学生は娘の表情を見た。

 すると詩織は不思議そうな、それでいて困ったような顔をして眉間にしわをよせる。

「えっ?」
 まさか、公の名前が出てくるとは思っていなかった。
 母の方からその話題が出るとは意外。意外だわ。

「そうか、公、ね。う〜ん、公かぁ。コーウ、こう、公ちゃん」
 はたと、皮を剥く手を止めて窓の外を見る。
「う〜ん、う〜ん。公かぁ」
 必死に考えている娘の表情。
 愉快なお母さんは唇の端を僅かに緩めた。
「何もそんなに悩むこと無いじゃない。いつもお世話になっているんだからお礼くらいしておいた方が、将来親御さんの心証は良いわよぉ?」
「公……将来……」
 娘は耳を赤くした。

 どんどんどんどん赤くなる。


「何の話だ、二人そろって」
 この家の主人が帰宅の様子。
「あら、何時帰ったんですか」
「今。お、晩飯はコロッケか、冬に熱々のおかずは…………」
 コートを脱ぐと、つまみ食いをしようとして妻にぺちっと叩かれた。
 詩織はまだ何か言っている。
「う〜、んとぉ。あう〜、公か。公……」
 どうしよう。中学の時は照れくさくてあげなかったけれど。

 父親は廊下にある衣紋かけに背広を掛けると、妻に聞いてみた。
 親指で詩織を指し示す。
「なんだ?」
「うふふ、乙女心は複雑らしいのよ。ま、いつものことだけど」
 たった今、娘をより複雑にさせている張本人は、いたって嬉しそうに詩織を見ている。

「そうか」
 父親はその言葉にだけは大いに納得した。


 でも、私………………そろそろ………………………。






 夜。伊集院家。

 伊集院レイは屋敷の厨房でかなり「やる気」を出している。
 Tシャツの上に着込んだ純白のシャツの袖をまくって上腕でまとめ、髪はポニーに。下はジーンズというラフな出で立ちだ。これから伊集院家専属の料理長黒沢仁(四十三歳)にチョコレートの作り方を習おうというのだ。
 わあ、たのもしい。


「いいですかな、たかがチョコレートといえども芸術です」
 うんうん、と頷くレイ。
「しかし、レイ様。何も御自ら洋菓子を作らなくとも、私にお命じくだされば宜しいのに。万が一、怪我でも……」
「それじゃあ、意味がないの」
 それだったら買っても同じコトじゃない……。
 そんなのやだ。

「ふむ……、では不祥ながら私が写真などを交えつつ、幾つかチョコレートを使ったお菓子を紹介します。……私の教え方は厳しいですよ」
「大丈夫、覚悟しているわ」
 真剣な眼をしたレイは椅子に座ったままメモを取れる体勢を作った。

 料理長はコホン、と咳払いをし、調理台の上にあった巨大な写真入りの本を開く。
「え〜。では、最近流行の『カーディナル シュニッテン』から」
「か〜でなるしゅにってん?」
「ウィーンのお菓子ですな。ふわふわした口当たりのケーキで、水気の多いクリームとなら何でも合います。
 こちらは『ショコラティーヌ』。チョコレートスポンジの上にチョコクリームをペーストしたものでココアは召し上がる直前にふりかけたほうが良いかと。
 忘れてはいけないのが、ウィーンの代表的なお菓子『ザッハトルテ』! レイ様、『ザッハトルテ』の名前が出たらもうこっちのものです。日本人としては負けを認めるしかないでしょうなあ。なんたって、『ザッハトルテ』ですから! …これは砂糖を加えないホイップドクリームをそえて食べますが、メインのチョコレートグラスをかけるときは薄くかけた方が甘過ぎなく」
「…あの……あの、黒沢」
「レイ様、なにか? ザッハトルテの説明に不備でもありましたか!」
 熱が入った黒沢の目が。
 調理場から逃げ出したくなったレイお嬢様。

「いいえ。どうぞ……」

「レイ様のような淑女はお酒が似合うかも知れませぬな。そこで『トリュフ・シャンパン』の優しいシャンパンの隠し味などは如何でしょう……! これはお薦めですよ〜!」
 だんだんテンションが上がってきたようだ。彼も職業意識のなせる技なのか、陶酔している表情を見ると何故いまだに独身なのかが理解できるような気がした。
 泣きたくなってくるような気がした。一体、私に何を作らせようというのだろう、この男は。
 伊集院家の本物志向はコックの骨の髄まで染み渡っているらしい。

 彼女が教えて欲しいのはいわゆる普通のチョコレートで、何もお店で売っているようなものではないのに。
 溶かして、固める。
 それだけいいんです。

 一人熱心に語り続ける黒沢を後目に、レイはそ〜っと厨房を出た。

「ところで『シャルロット・ショコラ・パナシェ』などは…………! おや、レイ様どちらに?」

 厚い絨毯が敷き詰められた廊下を歩きながら、レイはぐすぐす泣いている。
 そういえば、この家にはこういう人種の人間しかいないんだったわ。


「ひっく……黒沢の馬鹿…………ひっく……、作り方…………」




3.公の幼なじみ。

 主人公は珍しく早く目が覚める。

 といっても、まだ七時。早いと言うほどのことでもない。

 中学の頃は朝練で五時半に起きていたのではあるが、高校に入ってからの公はぶらぶらしているだけである。
 気が乗ったときだけ朝マラソン。
 もう、それだけ。
 大きく、伸びをし、そのまま軽くストレッチなどを……あ痛。

「ふわぁあ、あ、あ、…あ。……ふう、昨日寝たのが早かったからなあ。目覚めもいい……」
 眼をこすりながら、ハンガーに掛かっている学生服を手に取る。
「ふむ、珍しく起きているな」

「あ、親父」
「丁度いい、公、新聞を取ってきてくれないか」
 寝間着姿で公の部屋を覗き込んだ父の姿はだらしないおっさんの姿そのものである。
 日頃はダンディーを決め込んでいる……らしいのだが。
 公は、しぶしぶと承諾した。
 朝っぱらから息子の部屋を覗くなってぇの。
 洗濯されたばかりの白いシャツを着込み、公はゆっくりと階段を下りた。

 新聞は、無かった。
「ひょっとして、またか」

 老朽化が進んだ主人家の郵便受けは、外側の道路に対してやや傾斜がある。
 故に、長さがあって入りきらない新聞などはたまに道路に向かって落下したりするのだ。
 これは、家長も、その息子も面倒くさがって直そうとしないことに起因する。
 いや、もう面倒くさくって……。使えているんだから良いじゃん……蛙の子は蛙だったりする。公はシャツがズボンから出ただらしのない格好のまま外に出た。



「あ、詩織」
 門の外で詩織と目が合う。

 彼女はセーラー服に身を包み、同じように……こっちは牛乳だが……を取りに出てきたところらしい。牛乳瓶を持っていた。

「公……?」

 今日はついているなっ。
 例えるならクリスマスでもないのに七面鳥を食べた気分だ。

 今日も我が幼なじみは死ぬほど可愛いな〜。
 かわい〜。

「……う、んと。公」
「おう、何だ?」
「こう、公。公ちゃん。公くん」
 何か悩んでいるらしい。
 くるくる、もじもじしている。
 俺、なにかしたかな。
 公ちゃん? ここ数年聞いていない呼び方である。
 あらぬ疑惑を自分に投げかけて、疑心暗鬼におちいる公であった。

「あの、……公!」
「は、はぁい。なんだ、詩織」

 はぁいの「ぁ」がうわずってしまい、なんとも格好悪かったが取り消しは効かなさそうなので、諦める。
「公、はね、私のコト……好き?」
 詩織はカーネギーホールの舞台から飛び降りるかのごとく思いきって言ってみた。
 好き? のイントネーションがとても可愛かった。いや、それよりも。
 固まった。

 選択肢いち 好きと言う。
 「そうなの……でも、諦めてね」
 選択肢に 好きではないと言う。
 「そう、良かったわ」
 二択です。
 さあ、どっちだ!!

「うわああああぁ!」


 突然、頭を抱えて叫びだした公に詩織はビクリとする。

「……!?」

「あ、ごめん…………いやだな、俺が詩織のこと嫌いな訳ないだろ」


「好き?」

 …………。

 いいや、もう。
 やけくそということで。

「ああ、好きだよ」
 詩織は表情を変えることもせずに頷いた。
「そっか、公は私のこと好きなのか……」

 時々、この幼なじみは何を考えているか分からなくなるときがある。
 本当は、実の親からしても詩織の性格は把握できていないのだが。まあ、かなり、変な一面があることだけは公にも分かる。

「ふうん……そうかあ、こう、私のこと好きなのかあ」
 公、かなり不安。
「詩織?」
「……んと、聞いてみただけ。じゃあね」
 バタン、という音がして詩織は家の中に入っていってしまった。
 良かった、と小さく詩織がつぶやいたのは聞こえなかったです。
 別れ際の詩織の表情にも、気が付かなかった。


「……何が言いたいんだ」

 首を傾げた公は、頭を掻きながら新聞を拾い上げた。
 玄関のドアから親父がひょっこり顔を出す。
「おい、何をやっているんだ」
 公は大きく溜息をつく。

「今、いくよ」









 詩織は自分の部屋でくるくる転げていた。

「えっへっへっへっへ……、すごい、すごい、すごいっ!!」


 ちょっと、怖いくらいにハイ・テンション。



 くるくるくるくる。







4.考えることは……。


 真冬の寒空の直下。

 きらめき高校の四階……つまり屋上は風が吹き荒び、この時期に昼食を取るにはことさらに厳しい環境になっている。
 周りを見渡してもがら〜ん、としていて誰も見あたらない……。
 ひゅるるるる〜。

「さ、さむぅくないか、公」
「お前が上で食べようって言ったんだぞ……好雄」
 公と好雄は両手で身を抱くようにして、ちぢこまって御飯を食べている。
「だってよ〜、クラスは明日のバレンタインのことで話題が持ちきりだし、あそこにいたら惨めになるだろう、お前」
 かな〜り、理不尽な言葉を聞いたようである。
 しかし、これが好雄なりの友情なのだろうか? 違うような気もするが。

「ひとつ、聞くけど。好雄はチョコを貰えるつもりでいるのか?」
「あったり前だ。その為にクラスの女子に催促しまくったんだしな」
「え、そういうのって、催促するモノなのか?」
「そうだ。うぅ、さむい。俺にはアテがある」
「……だから貰えなかったのか!」

 知らなかった!
 公は早速、知り合いの子に催促することに……性格的に無理だろうな。
 かなり間違った常識を親友から植え付けられていたとき、階段の隅からの話し声が耳に入ってきた。
 公と好雄の注目はそちらに向いた。

「ほう、伊集院と……虹野さんか」
 顔を見合わせる。
「…………じゃ、行くか」
 コソコソ、ゴキブリのように二人はそうっと近付いた。

 虹野沙希は昨晩、伊集院から電話が掛かってきた時にはとても驚いた。
 しかも話の内容が「チョコレート」の作り方を教えてくれ、ときてる。
 男の子なのにチョコレート?
 しかし、よくよく理由を聴いてみたところ、大いに納得した。
「伊集院君って、妹さん思いなのね」
「一年に一度の行事だ。あいつもたまには庶民との社交に付き合ってみるのもよかろう」
 沙希はそっぽを向いているレイに微笑みかけた。そして、ちいさなメモに書き込まれたレシピを手渡す。
 沙希は寒そうに両手をこすり合わせる。
「わからないことがあったら聞いてね。……でも、伊集家なら専属のコックさんがいるんじゃないの?」
「そうしたいのは山々なんだが……それでは駄目なのだ。どう考えても手作りっぽくない。やはり庶民の作り方をそのまま真似た方が良いに決まっている」
 やけに力の籠もった発言であった。
 もう、黒沢はあてにしないことにするのです。

「何の話? 虹野さん」
「あら、主人君と早乙女君」
 レイは驚き、振り返った。
 そこにはボールペンのペン先を舐め舐め、手帳に文字を書き込んでいる好雄と、空の弁当箱を持っている公の姿があった。伊集院=虹野という意外な組み合わせに二人の野次馬根性は騒ぎまくっているらしい。

「ぬ、ぬしびと、こう! 何故、ここに。き、ききき、君には関係なかろう!」
 沙希は大まじめに答えようとする。
「あのね、主人君。伊集院君、妹さんに頼まれて手作りチョ……むぐぐ!」
 慌てたレイは沙希の口を押さえて睨んだ。
 コクコク頷く沙希。
 レイの目がちょっぴり怖かったので。
 これぞ、以心伝心。
「え〜と、あの、……な、何でもないの。じゃあね、主人君、早乙女君」
 なかば伊集院に引きずられるようにして昇降口の中に消えていった。

 ……後には男子二人だけが残された。
「好雄、あれ……何だと思う?」
「さあ」
 愛の伝道師は何やら頷きながら手帳に新たな文字を綴っている。非常に楽しそう。
 よく見ると鼻水が垂れているが……。




5.照れ屋さん。


 午後の授業も終わり、放課後の帰り道。

「いようっ!」
 バンッと背中を叩かれた公は絶句した。
 かなり痛い。
 何となく、この張り手に覚えはある。

「…………っ痛ぅ。き、清川さんだろ……」
 その通り、腰に両手を当てて仁王立ちしているのは望であった。
「おっ、正解」
 とびっきりの笑顔で笑う望。彼女の笑顔はいつでも真夏のイメージがある。
 望にはどういう訳か会うたびにどつかれているが、彼女なりのアイサツらしい。
 理由は大体分かる。何しろ彼女はかなり……

「照れ屋だし」

 あう、口にでてしまった。
 言ってしまってから公は慌てて口を閉ざした。
 遅かった。
「へえ、誰のこと?」
 公は首を横に振る。
 学校一の有名人を怒らせるのはいかにも不味い気がする。

「えー、いやいや。……清川さん、俺に何か用かい?」
 ちょっと、納得行かない望であったが気を取り直すと、
「明日バレンタインだろ」
「うん」
「チョコはスウィートとビターどっちが好きだ?」
「どっちでも食べられるけど……じゃあ、セミで……って、くれるの!」
「いらないのか」
「いえ、頂きます!!」

 ははあ、よっぽど長い間貰えなかったんだな、可哀相に……。じゃ、少し大きなヤツを買ってやるか。……ほんの、少しだけ。
 本当は手作りをあげても良いのだろうけど、照れくさいしな……。
 予想より大きかった主人公の反応に望は微苦笑した。

「まあ、主人にはいつも迷惑をかけているからな。言っておくけど義理だから!」
 少し、不器用な表情を浮かべて、望は走り去った。
 これからまた練習なのだろうか。

 公は小さくガッツポーズ。
 義理でも嬉しい、義理でも嬉しい。

 なんだか今夜はどきどきして眠れなさそうだぞ。




 きらめき市のメインロード沿いの一角には高級食料品店ツゥインクルというお店がある。閉店間際の時間帯、上流階級のオバサマ御用達のさまざまな食材が置いてあるこの店で、詩織は買い物をしていた。

「迷っちゃうなあ。公、どういうのが好きなんだろう」

 昔はよくお互いの家でおやつなど食していたのだが。もうそれは「昔の話」なのだ。
 今は公の好みなど全然分からないです。
 やっぱり中学の時にもっと仲良くしていれば良かったと思う。
 まあ、とりあえず材料だけは良い物を使おうと、滅多に来ないツゥインクルへやってきた。詩織はとりあえず先程から気になっているスィス製の板チョコへと手を伸ばす。
 料理オンチでも食材だけはこだわるらしい。
「あっ……」
「あ、ごめんなさい……」
 あう、先に謝られてしまった。
 誰かの手が同時に商品を触ったのだ。
 詩織は横の声に振り向いた。

 あっ。

「こちらこそ……」
 慌てて詩織は下を向く。
 ちょっと、笑いそうだったので。

 ぐるぐる瓶底メガネに三つ編み、大きなマスクを付けた金髪の女の子がそこにいた。
 ご丁寧に、まあるく頬紅までつけている。十二単のごとく何重にもドテラを着込み、体がドラム缶のように丸い。
 詩織は顔を上げられなかった。
 げ、芸人さんかしら?
「なにか?」
「い、いえ。ちょっと気分が……」
 言い訳は下手な詩織なのである。

「……お先に失礼します」
「あ……」
 その娘は、慌てて板チョコをカゴに入れるとドタドタと走っていってしまう。
「あの子、何をあんなに急いでいるのかしら? あ、転んだわ……!」

 転んでいるのに詩織はコメディックドラマのワンシーンを見ているように、ぼーっと突っ立ていた。いつもの詩織なら助け起こしに駆けつける。しかし、あの娘からは何か触れてはいけないオーラが立ちこめている。
 私のこと知っているのかな。

「……あの子、どこかで会ったような気がするんだけどなぁ……はてな、どこだろう??」




6.今日は何の日。


 朝からルンルン気分の公は楽しそうに通学路を歩いている。
 ここ最近に無い良い気分だ。
 なんたって、今日はチョコを貰えるのだ。
 日頃からどつかれてみるもんだなあ。
 小学生以来だから、え〜と、え〜と、三年振りか。
 うん、素晴らしい。
 ちょっと離れて一緒に歩いている詩織は不思議そうに公を見ている。

「公?」



 放課後に一番近い、六限目の国語の時間。
 クラス中がそわそわしている。
 もう、今日はずっとこんな調子だ。
 もはや先生は諦め顔で、
「自習!」
 苦笑いをかみしめながらそう叫ぶと、教壇を降りて職員室に帰ってしまった。
 生徒は待っていましたとばかりに騒ぎ始める。
 特に伊集院が一瞬で埋まった。

 女子も男子も早くもがやがやと動き始めた。
「ねえねえ、ちゃんと作ってきた?」
「とーうぜん!」
「B組の鈴木クンにあげるんだっけ。カレ、競争率高いわよ」
「いいの、渡せれば」
「なあなあ、今日の俺って決まっているか??」
「大して変わっとらん」
「げっ、彼女 キザ夫の鈴木に渡しちゃうのかー。あんなののどこが良いんだ?」
「お前よりはマシだろう。……儚い夢だったな、親友」
「とほほ……」

 うるさい。



 さて、公といえば……。

「ん?」
 いつの間にやら好雄がいなくなっていることに気が付く。自称、愛の伝道師……相変わらず素早い行動だ。
 しかし、特に気にすることもなかった。
 やはり、アテがある男は余裕が出来てくるらしい。
 チョコもらいに行こうっと!

 望のクラスへ向かうべく公は教室を飛び出す。羽が生えたように身が軽い気がする。
 レイはそれを見て、慌てて立ち上がった。

「あ、伊集院君どこ行くの?」
「……済まないが僕はちょっと席を外させて頂くよ。チョコレートは校庭の車に預けてくれたまえ」
「……車?」
 その女生徒は言われたとおりに窓の外を見る。確かに、巨大なトラックが校庭の真ん中に止まっていた。恐ろしいことに既に満杯になりつつある。
 ところで、この時、公を追ったのは何もレイだけではなかった。




7.あんた誰???

 望はプールにいた。

 冬服の上に白いカーディガンを羽織った彼女の姿に、ちょっとドキドキの公。……清川さんってかなり可愛いかもしんない。
 これでこいつがいなければなあ……。
 妙なことに好雄もいたりする。

「……好雄もチョコもらったのか?」
「おう! 義理だけどな! モテる男は……ックション! え〜と、大会の時、お前と一緒に応援していたのが良かったらしいな……ブシッ」
 昨日、屋上に長いこといたのがたたったらしい。
「…おかしいなあ、この時期に風邪を引いたことはないのに」
 なるほど、昨日言っていた「アテ」って清川さんのことだったか。

 あの……。
 少女はか弱い声で言った。

 鼻水を垂らした好雄から意識的にちょっとだけ遠ざかった望は、ゴソゴソと綺麗に包装された緑色リボンの箱を出す。
 公は三年振りに再会した(義理)チョコに感激。
「げっ、俺のヤツより大きい」
 好雄はまじまじと見比べて、どう見ても自分の方が小さいことが不満のようだ。

 と、いうより、これは本命ぢゃないのか……?


「あの…………」

「いいじゃんか、お前は朝日奈さんから貰えるんだろう?」
「へえ、早乙女って夕子と付き合ってたのか?」
「なんで俺があんな……………」

「……あのぅ!!」
 少女は力一杯に叫んだ。



8.嫌な予感。

「はい?」
 公と望の声が重なる。
 場が静まった。

 綺麗な女の子がそこに立っていた。
 薄い金色の美しい長い髪に、色の白くきめの細かい肌……。何故か指には不恰好な絆創膏を巻いているが。

「…あの、……これ、一生懸命作ったんです……」

 よ〜く見るとよれよれの包みである。
 昨晩は黒沢の目を盗んで作るのが大変であった。
 本当は公と二人きりでちゃんとしたものを渡したかったのだけど……時間が……。

「おおっ、やはり日頃の行いには気を付けておくべきだな!!」
 好雄は喜んで手を差し伸べた。

「い、いえ。主人さんに」
 慌ててレイは手を引っ込める。
 撃沈する好雄。
「お、俺なのぉ?」

「へえ、良かったじゃん。手作りだってさ。その意味、分かるよな?」
 隣では望がニヤニヤと笑っている。きつぅく背中を叩かれた。な、なんか、いつもよりも力が籠もっているような気もする。
「何故お前が……。……ブエッックショイ!!」
 好雄はまたひとつ大きなクシャミをした。

 レイは顔をまっ赤にして、自分で包装した不恰好なチョコレートを……震える指で公に差し出した。
「あ、ありがとう」




 ぐいっ。
 横から腕を引かれた。
 標的がいなくなったことで、レイは危うくチョコレートを落としそうになってしまった。
 あ、れれ。
「詩織」
 公を追いかけてきたもう一人の少女は詩織。
 一同、びっくりしたようだ。
 望は興味津々に、レイは不安げな視線を、公と詩織に投げかける。
 赤い色の髪の少女は、ほっぺたを膨らませて、公を睨む。

「うそつき」

「???」
 なんでここに詩織がいるんだ。
「好きって、言ったじゃない」
 嘘つきって、……。

 好雄はここぞとばかりに公と詩織をからかう。
 いつも公と一緒に叱られてばかりだからたまには良いだろう!

「怪しいぞ。幼なじみの詩織ちゃん、ひょっとして主人くんの恋人?」

 後日の早乙女好雄曰く、
「お、俺はからかったつもりだったんだ!」


 詩織はにっこり笑うと公の腕に自分の腕を絡ませた。
 そして、頬を赤く染め、こう言った。
「うん」







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