一年は三百六十五日あるわけですが、その三百六十五日目。
 十二月三十一日。
 一年の最後の日を飾る大晦日。


 その日の夜は木枯らしが吹くわけでもなく、比較的穏やかな天気であった。
 と、いっても秋はとっくに終わっているのだから、電気毛布などの贅沢品があると楽だろうな、と思われる程度には寒い。
 当然の事ながら、そんな贅沢品を主人公は持っていないのだ……。

 世の中には贅沢品を山のように持っている家もあったりして。







 例えば伊集院の家など。



 夜目にも巨大な伊集院の屋敷。

 その一階の奥の奥。
 奥っていったら奥。
 行き止まりに八畳ばかりのこぢんまりとした和室があった。
 すべてのスケールが馬鹿みたいにでっかいこの伊集院家にしては実に珍しい。
 この部屋は一年に一回だけ使われる。
 「正月の部屋」。
 それ、なんでしょう。



 季節は冬。


 とっても寒いのだ。











詩織ちゃん! 第十四話「ウワサニヨレバ」








1 伊集院家にて


 メイは派手にクラッカーを鳴らした。

 一年の計は元旦から!

 辺りにはクラッカーのくるくるとした色紙が派手に舞う。
 ……ということで、伊集院レイの妹はかなり早い時間から、振り袖を着た状態でずうっと待機していた。
「あけまして、おめでとうございま〜すなのだっ!!」
 バババン、バババン、バババンバンっと。

「Bonne Annee(あけましておめでとうございます)。メイ、静かにしなさいな」
 普段は垂らしているロングヘアを綺麗に結ったリーセアは、ぴょんぴょん跳ねている末娘をたしなめた。

 フランス人が着物を着るというのも面白い図だが、流石に素材が良いだけある。とてもお似合いの様子。
 ついでに酒に弱いリーセアは、日本酒を呑んだためか少々うなじを赤く染めていて、なんというか大人の色気が漂い……レイより母親に面影が似ているメイなんかは、あと十年もすればそっくりになるだろうと思われる。
 ただ、性格に関しては姉の方が受け継いでしまったようだ。

 メイは正月早々怒られたので、頬を膨らませつつもうなだれた。

「まあ、いいじゃないか。一年の始まりは景気が良い方が楽しい!」
「そうじゃ、メイのやることに間違いはない! うむ、ない!」
 根が明るい重蔵と金重は炬燵に入って早くもおせち料理をつまんでいる。
 既に酒瓶は幾つも空になって転がっており、……何しろ正月なので大人の酔いが早い早い。
 メイは、にいっ、と笑った。
「そうなのだ。正月は明るく、なのだ」
 親馬鹿と爺馬鹿が揃い踏みしているのだから、リーセアとしては頭が痛い。
 うちは過保護の典型だと思う。
 他の家庭はどうなのかしら?
 思わず頭を振る。


「……それで、レイはどうしたの?」
 姉の方がない。
「お姉さま? お姉さまは、朝から黒沢と厨房にいたのだ」
「厨房ですか?」
「おお、この栗きんとんは黒沢の手作りじゃな! 正月はこれがないと始まらんて」
「うははー!」
 箸を振り回して、酒瓶から酒をなみなみと注ぐ男二人。
 食べては呑んで、食べては呑んで……。

「あ、メイの分も!」

 公が喉から手が出るほど欲しがっている暖房器具が必要のない家の住人は、夜中に異様な盛り上がりを見せていた。






 まだ陽が高い時間のことである。

 メイの言った様に、レイの姿は厨房にあった。
 伊集院レイは「お節料理」を作っている真っ最中であります。

 袖をまくり、セーターにジーンズで包丁を握るという格好良いお姿。
 仕入れてきたばかりという、まな板の上の艶の良い鯛を……レイは凝視した。
 アップにした髪の毛の下を汗がつたう。
 そう、これから料理を…………………。
 包丁を握って、勇ましく。
 勇ましく……。


「腕は、動かさないといけませんが」

「ううっ、だって鯛がね、鯛がね、私の目を睨むんだもの〜! こ、怖くって」
 黒沢は呆れた顔でレイを見る。
 最近何かに影響されたらしい、コック帽に「鉄人」と刺繍されていた。

「レイ様のために最高級の淡路産の鯛をわざわざ『生きたまま』仕入れてきたのですぞ?」
 と、これが彼の言い分。
「活きが良すぎよぅ……、生きてなくていいのに。これは黒沢にお願いね。私、伊達巻き作るから……」
 と、これは彼女の言い分。
「料理というものはご自分でやらないと意味がありませんぞ。そもそもですな」
「じゃあ、私のお小遣いから特別手当で十万円」
「片側は潮汁に、片側は炙りますか?」

 首を鳴らすと、早速、鱗を剥がし始める黒沢料理長。
 変わり身が早いのも彼の特徴である。
 だんだんと、頭も寂しくなってきた四十四歳の冬。


 かち。
 はんぺんを入れてミキサーのスイッチを押したレイは、椅子に座ってしばらくだんまり。

 お節料理を作って。
 主人君に、持っていってあげる。とは、口が裂けても言えない。
 膝を抱えて、きゃーきゃーと。
 何も言わないのに耳が赤くなった。

 これが、しばらく前の厨房での光景。




 場面は戻って正月部屋。
 遅れたレイは慌てて部屋に飛び込む。
「ごめんなさいっ。あの、あけましておめでとうございます!!」

 真っ先に喜ぶのはレイにも甘い男性陣。
 相好を崩して可愛いレイの到着を歓迎した。
 そこでひとつ、家族の姿以外に、気が付いてしまったことがある。

「あけましておめでとう、レイ。お前もお節食べるか?」
「おおっ、レイ。よう来たよう来た! おめでとう!」
「あら、遅かったわね」
「お姉さま、あけましておめでとーございます、なのだ!」

 交わされる新年の挨拶。
 いや、そうじゃなく、レイが見たのは。


 主人君に持っていく前に家族に出来栄えを見せよう! ……と、先ほど置いておいた重箱。



 が、既に開封されているとこ。
「食べないのか? レイは。旨い〜〜〜ぞ!」
「じゃな〜、ぐわっはっは!」

 べろんべろんに酔っぱらっている家族の姿なども。






2 藤崎家。




「レイちゃん、泣いていたら分からないよ?」

「………ぐす」


 詩織の部屋。
 そろそろ寝ようかなあ、と思っていたところに不意の来客でした。
 玄関にいたのは着替え一式を持ったレイ。
 なんだか、荷物持って困っているみたいだし、外は寒いのでひとまず自分の部屋へ。


「そ、その、……お節料理、がっ。……食べられ……っく……」

「…………」


 ………………。
 よく分からない。

 お節。

 食べて。

 つまり、レイちゃんはお節料理が食べたいのかしら?
 それで泣いているのかしら?

 そんなことをぼんやりと考えているのが詩織の頭。


「こ、ここにいてもいいですか?」
「え? いいよ。正月だし」
 荷物一式を持って屋敷を飛び出してきたレイ。他に友達がいないので、頼れるのは藤崎詩織しかいない。男装をしているならば主人公という選択もあるが、身も心も女の子であるレイにそんなことをする勇気はなく。
「……良かった、です………ありがとう藤崎さん」

 そして相変わらず、詩織は不可解な面持ちである。
「レイちゃん、お節料理食べる?」
「え?」




 詩織の母がドアからひょっこり顔を覗かせた。
 レイは座り直したかと思うと、丁寧に正座をして深々とお辞儀。
「あ、あのっ、夜中に突然押し掛けてしまい、すみませんでした」
 いい加減な母は手をひらひら。
「あ、いいのいいの。どうせ起きていたんだから……、それにしても可愛いわね〜」
「?」
「詩織もそう思うでしょ?」
「うん」
「???」
 つかつか、部屋の中へ母は、レイをぎゅっと抱きしめた。

 断りはない。

 こーいう性格です。

 レイは目をパチパチさせる。

「綺麗な髪ね〜、お人形さんみたい! 詩織ったら、お友達を連れてくるなんて滅多にないから、嬉しいわ」
「…………あ、あの」
 困惑しているレイだが、それには構わない。
「最近は愛ちゃんしか来ないし、公くんも滅多に来ないし……あら、詩織なにかしら?」

 詩織は母に二言三言、なにやら耳打ちをした。
「え、そを? あー、そうなの?」
「……お節料理、ちょうど余っていたのよね」

「はいぃ?」



 詩織の父は上機嫌であった。

 正月は会社で上司にこき使われることもなく、部下に気を遣うこともなく。
 課長って面白い人なんですね。
 ソウカナ、アハハ。
 なんて。
 もちろん、OL相手に道化をする必要も無い。
 可愛い娘と妻と三人だけで水入らずだ。


「いや〜、女の子が多いと空気が華やいでいいね」

 恐縮して座っているレイと、とくになにも考えずに伊達巻きを食べている娘。
「最近は、詩織もお洒落に気を遣って、どんどん女っぽくなってきてなあ。そのネックレスも似合っているぞ。父さんは親馬鹿じゃないが、詩織は一番だな」
 ベラベラ喋りつつ、勝手に納得気味の親馬鹿である。
 世間様ではどこの家も一緒らしい。

 もぐもぐとひたすら箸を動かしている詩織としては、お洒落を気にしてネックレスを付けているというのは、ちょっと違うと思った。
 彼氏からのクリスマスプレゼントだから、藤崎詩織は「四六時中肌身離さず」付けているのです。
 記念すべき、高校になって初のプレゼントなのだが、どーも、おまもりか何かと勘違いしている節がある。
 外しているのはお風呂に入っている時と、寝ている時くらいかもしれない。



 詩織の母によって、お雑煮の器が四つ、重箱の前に並べられた。

 今年の藤崎家は煮雑煮である。鰹ダシに粉末の昆布を混ぜてある詩織のお気に入り。
 ちょっと前まで焼き雑煮が流行であったが、毎年食べていたらそりゃ飽きる。
 今日からは煮雑煮です。

「あっ、そうだ。詩織、お屠蘇があるのよ」
 一応、縁起物だからと、お膳の上に小さな急須を置いた。
「レイちゃんも飲むかな?」
「えっ、あっ……、はい……」

 ・・・・・・・


「もう一杯飲むかい?」
「あっ、はい」


「まだ飲む?」
「……はぃ。……ぅっく。いた、らきます」
 屠蘇をそんなに飲んでも美味しくないだろうけども。
 伊集院家の跡取りはお酒に弱い。


 そこで問題がひとつ。

 本人に自覚が無かったこと。






3 主人公と愉快な仲間達。



 藤崎家の隣に、くら〜くしずか〜にたたずむ主人家。

 二階には公の部屋がある。

 外を見ると、藤崎家の部屋の明かりはまだ灯っていた。
 こんな夜中なのに、隣はなにやら賑やかな様子だ。
 ひょっとしておばさんかな。騒ぐの好きだからなぁ……うちの親と違って。

 羨ましいことだ。




 となりの家と比べるわけではないのですが。





 正月だというのに両親が出かけていて、ひっそりとしているのが俺の家。




 …………。

 いや……。

 ひっそりというのは、正しくないのかもしれない。

 よく考えたら、この部屋だけ五月蠅かった。



「うっひゃっひゃー! ケンタッキー通り買い占めだ!!」

 ひとつひとつモノポリーのコマを進めていく彼は、一位抜けしたら王様になれるというルールを勝手に追加したために熱中している模様です。
 最初はくだらないと言っていたはずなのだが……、もちろん早乙女好雄だ。
 親がいないと言ったら、遊びに来た。
 アポ無しで。

「うっさいわねー、黙ってやりなさいよ」
「主人さんは、お茶は、如何なさいますか〜?」
 夕子とゆかりは、それぞれ雑誌を読んだりお茶を入れたりして、くつろいでいる。
 俺は、呼んでいないのになあ……誰も。
 発案者が好雄であることだけは疑いの余地がない。

 両手で急須を持って、人数分の湯飲みに緑茶を注いくゆかり。
 流石は良家の娘さん、綺麗な正座の形だ。

「古式さん、正月なのに着物は着ないの?」
「あ、はい。少々事情がありまして……主人さんは、見たかったですか?」
「ちょっと残念」
「そうですか、私も残念です……」
 本当にそうなのか、とても神妙な顔をするゆかり。
 事情というのは、何だろう。

「なあに、ゆかりの着物姿が見たかったの? 浮気は駄目なんだぞー」
 夕子はにやっと笑うと、いつもの調子で公を茶化す。
 こっちはもとから着るつもりもない。
「別に、そういう訳じゃ」
「私って口が軽いのよね」

「朝日奈さん、何食べたい?」

「学校始まったら、私行きたいフルーツパーラーがあるんだー」
「……じゃあ、それで」
 隣の家をちらっと見た夕子に心底びびった。



「公、腹減った。なんか出せ」
 好雄が言った。

「なに?」

「そうね、お腹減ったー」


 好雄は考えた。

 どう考えても、俺が真っ先に破産してしまう。

 盤上を眺めたあげく、王様ルールの追加されたゲームをうやむやにしようとした好雄に、夕子が乗ってしまった。
 元はといえば、夕子がボードウォークにホテルを建設したのが原因であるのだが……。
 こちらはさほど結果には興味が無いようだ。
 あるいは、ゲームは片手間で読んでいた雑誌がよほど面白かったのだろうか。
 好雄と夕子は雛鳥が親鳥に泣きつくように、駄々をこねこね、こねこね、見事なこねっぷり。
 似たもの同士というものは、時としてたちが悪い事に気が付く。
「おまえらなー」

「おっと、わかった皆までいうな、皆まで。自分たちでなんとかするから」
「そうねー。だったらコンビニ行こうよ! ゆかりは?」
「はい、お供、いたします〜」
 綺麗な正座を崩さなで、にこにこして頷いた。


 公は一人留守番……というのもおかしいが、まあ、平たく言うと取り残されたわけだ。

 こんなときは時計の音がやけに大きく聞こえたりして。

 チックタック
 チックタック
 ボーンボン

 人のぬくもりの残った部屋を見渡すと、どうでも良い孤独感に襲われる……。







 つまり、暇らしい。





4 新たなお客様。






 窓が開いた。


 風が吹いた訳ではない。

 台風であっても引き戸は開きません。
 じゃあ、何故勝手に窓が開いたのか、だ。

「詩織か?」
「……、違い……まふぅ」
「違う? どなた?」


「よい……しょ」
 窓枠を乗り越えて、部屋に入ってきたのは綺麗な金色のロングヘアの女の子。
 少女はカーペットへ降り立つと、開けたときと同じようにゆっくり窓を閉めた。
 次に、彼女は汚れた靴下を脱ごうとしたのだが、なかなか脱げなくてバランスを崩す。
 こけた彼女を慌てて公が受け止めた。
 なんだか酒臭い。

「……、君、お酒入ってる?」
「どうれ、しょうね。……ええと」

「なに」
「ええ……と。うーん」
「???」
 信じられないかもしれないが、途中で、何を言いたいのか忘れたようである。
 それでも頑張って思い出そうといているところを見ると、やはり真面目な性格が伺える。

「あ、そうだ。どなたで、しょう……か?」
「俺は、主人公、だけど。君は……」
「ぬひびと、くん?」

 レイは、腕を公の首にの後ろに回して抱きつく。
「なっ」
「はぁ……、ぬひびとくん」
 半分夢の中と勘違いしているレイは、ためらわない。

 レイの柔らかさは、どぎまぎさせるのに十分であった。
 普段かがない薄い香水の匂いが手伝ってそれは尚更に。

 アルコールの入ったレイは、抱きついたまますやすやと眠ってしまった。
 え、寝た?

 しっかりとした体の重みを体で受け止めつつ、公は混乱の最中である。

 どうしようどうしようどうしようどうしよう。

 このままで良いか?


 いいかな。



「あ」

 階段を上ってきていると思われるその足音は、公の背筋を凍らせ……た。




5 私が藤崎詩織です。


 ばぁんっ! と扉を開けて、血相を変えたのはやはり……、でした。

 開口一番。
「レイちゃん、落ちたっ!?」

 取り乱す詩織の姿というのも珍しい。

 レイが無事なのを確認すると、詩織は大きく息を吐いた。
 窓から公の部屋に行くなんて、なんて無茶をするのかしら。
 普段の自分を忘れての発言であるが、それは内緒。


「詩織ちゃん」

「……はい?」

「これは一体」
「えっ? あのっ」

「窓から入ってきたけど……この子、誰」
「あぅ、……えっと、えっと……」

 酔ったレイちゃんが、公を見つけて窓を……、えーと。
 気の利いた言い訳は、出てこない。
 でも、そのまま言うと怒られそうな気がする。

「……あのね、レイちゃんがうちに遊びに来て、お屠蘇飲み過ぎちゃって」
「お屠蘇ってそんなに飲むものか? 危ないなあ」
 で、レイちゃんって誰。
「少しなんだけど……」
 しょぼん、とうなだれる詩織。
 思った通りになってしまって悲しい。

「駄目じゃないか、詩織が止めないと。おばさんもおじさんも焚付けるだけなんだからさ」
「そう……、なんだけど………」
「なんだけど、どした」
「あの……、どうしてレイちゃん抱いてるの」
「……!」
 そのとき、公は心臓が口から飛び出すかと思った。
 ドッキン。


 俺、ひょっとして不味い?

 詩織の目に涙が浮かんできたとしても、それは公の責任である。

「うー」
「わっ」
 慌ててレイを炬燵の横に寝かせる。

「あ、な、泣くな! もうしないから!」
「…………し、しない?」 
「しない、しないから安心しろ!」
「……うん」

 ハンカチ……が無かったので、スポーツタオルで詩織の頬を拭ってやる。
 涙腺弱いのだけはどうにかならないかな、切にそう思う。
 詩織は公のセーターに顔を埋めて幸せそうだ。
 尻尾があればぱたぱた振っていそう。


「詩織……」
「ん?」

 どさくさに紛れて、公は詩織の柔らかな唇をそっと塞いだ。
「ん、む……!?」


 藤崎詩織大混乱。



5 公と詩織と


 混乱した。

 数回目だけれども、実は、キスはまだ慣れていない。

 身をよじらせて、逃げようとする体を、しっかりと押さえつけられる。
 あうあう……。
 微かに躰を震わせ、公の服をぎゅっと掴む。
 掴むと、公の体をぐいっと押した。
「ん………、い……や」
 驚いた公は、反射的に詩織から離れた。

 詩織は自分の手をはっと見た。

 慌てて、再度公に抱きつく。


「詩織、俺のこと好き?」
「うん、……好き」
「キスするのは?」
「…………、……………………………………」

 なんてことだ。

 今まで気が付かなかった。
 まさかまさか。

 イ・ヤ

 だったとは!


「で、でも……」
 詩織は、公を掴む手に力を込めた。
「な、慣れるから、き、キライにならないで……。公、ごめんね……」
 震えながら何度も公に謝る詩織。さっきとは、違う。
 ごめんね、ごめんねと繰り返す。
「なんで今まで我慢してたの?」
「だって、私がしないと……、その、虹野さんとか……片桐さんとか……ほかの……、しなぃ……?」
「お前、そんな馬鹿なこと考えてたの」
「ば、馬鹿じゃないもん………」
 大切な、壊れやすい陶器の器を扱うように、詩織の肩をそっと抱いた。

 お前なんでこんなにウブなの?

「公……?」


『ははあ、今でも幼なじみの公ちゃんってことか』

 以前、望に言われたことを反芻する。
 そうなのかな?

 そうかも。


 多分、今頃くしゃみをしていることだろう。








 玄関から音が聞こえた。

 公は、詩織を抱きしめたままビクッと驚いた。
 詩織はちいさくびくっ。

 なあ。

 なぁに?

 好雄達が帰ってきたみたいなんだけど……離れない?

 嫌。

 ……あの。

 いや。




6 犬も食わぬ

「この子、だあれ?」
 と、夕子が聞いた。
「……なんか、見たことあるような気がするけど、誰だ?」
 好雄の方も興味津々に聞いた。


 詩織と公はなにやら揉めている。
 この二人が人目はばからずいちゃつくのは見飽きているから、それはどうでもいい。
 どうでもよくないけど、好雄にとってはどうでもいい。
 実は公も好雄も面識あるのだが、去年の事などとっくに忘れている。

 どさくさにまぎれてレイに顔を近づけたら、夕子の鉄拳制裁。
「寝ている女の子の顔を覗くな! まったく、超デリカシー無いんだから〜!」



「ん、どしたの。古式さん」
 ゆかりは、詩織に遠慮してか、反対側の手を引っ張っている。
 詩織は、じぃ〜っとその手を見る。
 勘がよいのか、単に大人なのか、はたまた何も考えていないのか。ゆかりはすぐに手を離した。
 そっと、口を開いた。
「あの〜、今、私たちが帰って参りましたよね?」
「うん……、それが何か」
 どうも、テンポが遅いせいか調子が狂うな〜。

「表に車が停まってまして〜」
「ふむふむ」
「お客様が、いらしてましたけど〜」
「あっ、そうそう。責任者を呼んでこいって、……なんだか偉そうな子なの!」
「いてて……、お前ほどじゃないだろ」

 ぎゅうぎゅうぎゅう……。
 耳がちぎれないのは丈夫な証拠かもしれない。
 公と詩織の平和カップルとはワケが違い、こちらはきちんと手が出ます。

「この馬鹿女! 少しは女の子らしくなったらどうだ!」
「今、何て言った?」
「ゆかりちゃんを見習って少しはお淑やかに。…………。俺が悪かった、その手を下、いてててててててて!」
「ねえ、今なんて言ったの〜?」
 とても楽しそうに、耳を引っ張り上げる夕子。


 公は、死にそうなカエルのような奇声を発している好雄を見て見ぬ振りをした。

「古式さん。その客って、まだいるのかな」
「どうでしょうか」



 グエッ




7 カエルの子は……

 公の目の前に、背の低い女の子が腕を組んで立っていた。
 逆光の中でお顔の造形が闇に包まれていても、はっきりと分かる好戦的な目の持ち主。
 背の高い侍従らしき銀髪の男が側に控える女の子は。よくよく見ると、なにやら、ぼーっとしているようにも見えなくもない。
 なんだろか。

「なんか、あの子俺のこと睨んでない?」
「気のせいじゃないのか?」
 好雄は自分のマフラーを夕子の首にかけた。

「うーん」










「……………………はっ! ず、随分と遅かったのだな」
 自分の今の状況を理解するのに一秒掛らなかったのは凄いかもしれない。
 少女の第一声はそんな言葉から始まった。
「客人を待たせるとは失礼な奴なのだ! 大体、貴様はいつもそうなの……、違った。まったく失礼な奴なのだ」
 次々と早口でまくしたてる。
 この視線、尊大な態度、とても見覚えがある。

「君は?」
「貴様、人に名を尋ねるときは、まず自分からなのだぞ」
 メイは人差し指で公の顎をつんつんと突っついた。
 まったく敬意を払っていないことは、十分に伺える。
「名前もだけど、そうじゃなくて」

「ふうむ……、貴様はおかしな事を聞く奴なのだ。メイはメイなのだ」
「じゃあ、俺は主人公だけど」
「俺は早乙女好雄。よろしくねっ」

「変な奴等なのだ……。ここにお姉さまが来ているな?」
 メイはコツコツ、と革靴を地面にうち鳴らすと、また腕を組む。
 反応したのは公の右腕にひっついている詩織である。
「あ、レイちゃんの妹さん? 確か私たちとひとつ違いよね?」
「嘘、高校生っ!? 背が低いから中学生かと思った」
 思わず公は失礼な事を言ってしまう。

「悪かったの………。う〜、貴様はメイに話しかけるな!!! 調子が狂うのだっ!」
 だ、駄目なのだ、こいつはっ!
 コンプレックスである身長に触れられたメイは顔を赤くして、侍従の咲之進から拡声器をひったくる。
 上空へ拡声器を向けると、ぴたっと固定。
 姉に対して呼びかけを開始した。



『家出したおねーさまに告ぐのだ。おとなしく出てくるのだっ!』

『あー、あー、お姉さま。今すぐ出てくるのだ。メイは朝早いので出来ることなら早急に………』

『心配しなくても、家族の皆は猛烈に反省しているのだ!』

 姉想いの妹はこのように述べるが。
 酔っぱらってる連中が反省すると思ったら大間違い。
 レイが屋敷からいなくなったことすら知らない。

 べろんべろんです。

『早く連れて帰らないとお母様に怒られるの。今、お姉さまを騙しているところなのだ』
 咲之進にはそう言うが、その前に拡声器を離さないのはわざとなのか天然なのか。
 確実に姉に聞こえる声である。



 姉のレイにはアルコールが相当効いたらしい。

 呼びかけも空しく、家の中からは反応は無かった。

「…………」

 メイは、目を細めると、指をパチンと鳴らして咲之進に指示を出した。

 明日は忙しいのだ。

 不適な笑みを浮かべると、公の家を見上げ……まあ、基本的に、まどろっこしいことは嫌いである。銀髪タキシードの兄ちゃんは、なにやらゴソゴソ荷物を漁り始めている。




 数十秒ほどして、やがて、黒い筒状のものが現れた。

 カチャカチャと組み立てられていくにつれて、とても嫌な予感がしてくる公。
 映画で見たこと有るような外観、あの長い筒は。
 ほら、何か銃身のようにも見えるが、あれは一体…………?

『お姉さまー! 起きてこないのなら、二階を破壊してやるのだ! 早く起きてくるのだっ!』
「こらー!!! 俺の家ー!!」
 メイを後ろから羽交い締めにしようとする公。

 見事なアッパーカットでそれをを撃沈するメイ。
 三原咲之進は、あくまでもダンディに拍手をする。

『うるさーい! メイは朝早いのだ! 眠って起きたらデートなのだーっっっ!!!! 』

 メイの声は。

 闇の中。

 町中に。

 どこまでも響き渡った。




8 そのあと


「と、いうことが正月にあったんだが」

「僕にそんな話を聞かせてどうするのだね? もう二月だが」



「いや、なんとなく思い出しただけ。正月主人家混乱ス、って事件」
「そのままじゃないか。……ふん、庶民の話はいつも賞賛に値するな。もちろん、悪い意味でだ」
「お前、ちっとも変わらんな」
「君もな……まったく、庶民と付き合うというのも貴重な体験だよ」
 レイはふふん、と鼻で笑った。

 俺じゃなかったら殴っているかもしれんな。




 いつの間にやら二月十三日。

 先日、新学期かと思ったらもうすぐ期末テスト。

 いつものように公とレイは窓際で話をしていた。

 何の変わり映えもしない日常の光景である。

「抱きつかれたから、ちょっと役得だったな……詩織には内緒でアレなんだけど」
「ふ、不謹慎なっ!」
「……何、顔赤くしてるんだ?」
「な、ななな、何を言っている! 赤くなど、してない!」
「変な奴」
 うなじまで赤く染めたレイだが、長い髪に隠れてそこまで公には分からない。

「ふ、……ふん。君の方が変だ」
「そうか? なんか、そう言う奴が多いな」

「ほう、誰だね」

「お前と親父とお袋と、清川さん、片桐さん、朝日奈さん、紐緒さん。あと、好雄か」
「なるほど?」
「俺に言わせればこいつらこそ変わり者なんだがなあ……」

 指を折って数えると、結構いる。
 レイは横目で公を見ると、なんか笑ってしまった。
 公が不機嫌そうに言ったからだ。


「そういえば、またバレンタインの季節だな。君はまた藤崎君から」
「まった、その先は無しだ」
「何?」
「憂鬱になるので……」

 詩織がチョコを手作りで作ろうと、いろいろ買っていた。
 去年は半分おばさんが手伝ったらしいが、今年は多分一人?

 どうしたものかなあ。

 公は、少し顔を曇らせて窓の外の景色を眺めた。







 夕日は校舎を赤く照らす。



 冬の最中とは思えない真っ赤な夕日だ




 少し、眩しいくらいに。




 校門の側に詩織の姿が見えた。




 魔女の格好をした詩織が、大釜でチョコレートをぐつぐつ煮ている場面が脳裏に浮かぶのはどういうことだろう。








「詩織ちゃん!」 何もないうちに二年生編 fin
         そのままなし崩しに三年生編へ Let’s go!です。






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